夕風を袂に入れて踊る娘等   渡邉  信

夕風を袂に入れて踊る娘等   渡邉  信 『季のことば』  「踊り」と言えば俳句では「盆踊り」を意味し、秋の季語になっている。旧暦七月十三日から十六日に行われる仏事で、先祖の魂を迎えお祀りする。縁先や庭に精霊棚を設えお供え物を並べ、足元には胡瓜と茄子でこしらえた馬と牛をならべ、オガラを焚いてご先祖さまをお迎えする。十六日はまた牛と馬を並べてオガラを焚いて御霊を天国に送る。明治以降新暦になって東京周辺ではお盆行事は夏の盛りの七月に行うが、地方では八月半ばの「月遅れ盆」がもっぱらで、従って秋の季語になっている。  このお盆の時期に町内や村の広場で行われるのが「盆踊り」。徳島市周辺で観光名物になっている阿波踊りも盆踊りである。もともとは彼の世から舞い降りてきたご先祖様の御霊と一緒になり無我の境地に入って踊る「祀り」だったのだが、時移るにしたがって「祭り」気分が旺盛になり、今では久しぶりに都会から戻ってきた連中と地元の人たちとの「交流イベント」になっている。  「『夕風を袂に入れて』が上手い。浴衣で踊る踊り手の様子が見えてくる」(而云)という合評会句評があったが、まさにこの句の良さはそこにある。着慣れない浴衣で盆踊りの輪に入った娘さんたちだが、間もなくしなやかに踊り出す。夕風に袂を泳がせて、蕪村の絵を見るようだ。 (水 21.09.07.)

続きを読む

相続のはなし重たし虫すだく   廣田 可升

相続のはなし重たし虫すだく   廣田 可升 『この一句』  上五中七の描く場面がドラマ性をはらみ、「虫すだく」の季語の取り合わせによってさらに深い感懐を覚える句である。四十九日か初盆に集まった家族が昼の法要を終え、夜になって相続の話をしているのであろう。議事次第がある訳ではないので、スムーズに進まない。遺産の分け方や墓をどうするか、思惑が絡んでどうしても口が重くなる。誰かが発言しても、故人の思い出話になったりして肝心の相続内容は詰まらない。「重たし」の三文字にそんな状況が凝縮されているようだ。  長引く話し合いにふと気が付けば、夜も更けて庭の虫たちがいろんな音色で鳴き合っている。重苦しい雰囲気の家族会議と賑やかな虫の合唱との対比から、人の営みの悲喜こもごもが改めて伝わってくる。  掲句が出された番町喜楽会の8月例会は、緊急事態宣言の影響で出席者が7人にとどまった。ところが出席者のうち作者を除く6人全員がこの句を選び、メール選句の2人を加え、最高の8点を集めた。各人の選評を読むと、それぞれの相続体験重ねてこの句を解釈し、共感しているようだ。  数年前の相続法改正で基礎控除が縮小され、相続税の支払い対象となる世帯はぐっと広がった。普通の家庭でも税金をどう圧縮するか、遺産分割協議は真剣にならざる得ない。秋の夜の話し合いは長々と続くことになる。 (迷 21.09.06.)

続きを読む

踊り手の手先揃ひて輪が動き  宇野木 敦子

踊り手の手先揃ひて輪が動き  宇野木 敦子 『季のことば』  我が家に近い杉並・高円寺で行われる「阿波踊り」が中止になったという。それ自体は「ちょっと残念」ほどのものだが、事情通の次の言葉に「オヤ」と思った。「今年は高円寺駅近くの劇場で入場料を取り、公演する」のだという。コロナは世の中を大きく揺さぶり、盆踊りも劇場型へ。各地の風物・盆踊りにも大きな変化が起きているはずだ。  掲句の「手先揃ひて」を見て、阿波踊りもそうだった、と思った。しかしそれは踊りの始まる前の一瞬のこと。踊りは輪にならず、長い行列が駅前商店街の道路を練り歩く。笛や鉦やらのお囃子が相当な迫力を持って鳴り続ける。列に従って何度か雑踏の中を歩いてみたが、そんな夜は床に行っても、お囃子の音が耳の奥に残っていた。  俳句の季語の「踊り」(秋の季語)は「盆踊り」を意味し、夏の盛りから秋口と言えるような時期の風物として多くの人に親しまれている。夕方になれば風に乗って、遠くのお囃子の音が聞こえてくる。子供たちはまだ夏休みのうち。踊りの列に加わっていた学童たちのことをふと、思う。彼らに今年、どんな秋が訪れるのだろうか。 (恂 21.09.05.)

続きを読む

夕立や縄文人の高笑ひ      植村 方円

夕立や縄文人の高笑ひ      植村 方円 『この一句』  縄文人は1万6千年前から日本列島に住み、我々の先祖であることに違いは無い。しかし紀元前600年頃以降、中国大陸・朝鮮半島から入り込んで来た弥生人に圧迫され、北へ北へと追いやられた。そうしながら弥生人と混血しつつ、平安時代末にほぼ征服同化されてしまった。いま北海道に生き残っているアイヌ民族が縄文人の末裔なのではないかという説もある。東北に確固たる文化国家を形成していた縄文人は、弥生人の大和朝廷による全国制覇に抵抗したが故に蝦夷とか俘囚と呼ばれ、征夷大将軍坂上田村麿による延暦13年(794年)から21年にかけての蝦夷征伐、源頼義・義家親子による安倍貞任・宗任征伐(前九年後三年の役)で壊滅した。  縄文時代のことが遺跡発掘の進むにつれて少しずつ明らかになってきた。6千年から5千年前に、既に広場を囲んで竪穴式住居を並べる集落を形成し、石器土器の製造はもとより衣服、弓矢や漆器も作り、翡翠の勾玉まで作っていたという。三内丸山遺跡の巨大建築物や耕作地跡など見ると高度な文化を持っていたことがわかる。それなのに絵文字の一つも残していないのが不思議だ。  恐らく文字で伝えるなどという、まだるっこい方法の必要無い、ツーと言えばカーの大家族的集団の平和な暮らしぶりだったに違いない。夕立が降れば男も女もみんなシャワー代わりに浴びて、大歓声を上げていたのだろう。 (水 21.09.03.)

続きを読む

窯場にも風の抜け道秋来る    中村 迷哲

窯場にも風の抜け道秋来る    中村 迷哲 『この一句』  陶芸家が窯を築く時は、風の通り道を計算する。変に熱が籠ったり煙が溜まったりすると、仕事に差し支えるからだ。ということを前提としてこの句を読めば、作者は唐津か美濃かはともかく、どこかの窯場を訪問し、「あぁ、いい風が吹いている。秋が来たんだなぁ」と、あたりを見回しながら感慨にふけったことを物語っている。  と書いて来て、ふと気付いた。最近では町の真ん中、東京・銀座などにも陶芸教室がある。そこにも窯があると思われる。もとより登り窯や穴窯のように薪を焚くのは無理。黒い煙がモクモクとなれば、公害防止条例に引っ掛かるし、消防車が素っ飛んで来るような事態も。というわけで、都市の陶芸の窯は電気かガスを燃料としている。  陶芸には「一に火、二土、三に技」なる言葉がある。火の加減で釉薬の溶け方が変わり、それによって色の調子が変わり、釉が陶器の表面を走ったり、罅割れたりする面白さを尊重してのことだ。いわば偶然の産物である。一方、電気やガスを使う窯には色合いを調整しやすいという利点がある。いずれにせよ心地よい秋の風に吹かれたい。 (光 21.09.02.)

続きを読む

秋立つや近所に止まる救急車   前島 幻水

秋立つや近所に止まる救急車   前島 幻水 『この一句』  番町喜楽会の8月例会で「立秋」の兼題に対して出された句である。選句表を見て驚いたのは、すぐ隣に「今朝秋の隣家で止まる救急車」(嵐田双歩)が並んでいたことだ。同じ時期に同じ季題で句を作るので、テーマや季語、表現が似た句が出て来ることはたまにある。しかし近所と隣家の違いはあっても、立秋の季語に救急車を取り合わせた句が並ぶのは極めて珍しいのではなかろうか。  句会では近所の救急車に2点、隣家の救急車に1点が入ったものの、意外に支持が広がらなかった。立秋と救急車が離れすぎて、句意が掴みにくかったのかも知れない。常識的な解釈は次のようなものではなかろうか。立秋とは言え、まだ残暑は厳しい。暑さによる食欲不振、睡眠不足などで体力が弱り、この頃に体調を崩しやすい。いわゆる夏負けである。夏の終りに近所に救急車が止まる。知っている人が倒れたのではないかと心配する。そんな場面が浮かんでくる。  救急車のサイレンは、平穏な日常生活の波乱を伝える音である。両句の本意もそこにあると思う。季節の変わり目に自宅の近くまで来た波乱。何も熱中症や夏負けに限ることはない。高齢者であれば脳梗塞や心筋梗塞もありうる。さらにはコロナ感染という日常の大波乱だっておかしくないのである。 (迷 21.09.01.)

続きを読む