うなだれて片蔭を行く老いにけり  大沢反平

うなだれて片蔭を行く老いにけり  大沢反平 『この一句』  何とも切ない、哀しみに襲われた。やるせない気持ちになった。うなだれた作者の姿が思われた。だが、評者にも「こうなってしまったのか」という記憶がある。肩を落として前屈みになり、とぼとぼ歩く姿。商店のガラス戸に映ったそれは、まぎれもなく自分のものだった。「若いと思っていても…」という現実を突き付けられた。  だが、この一句には救いがある。「老いにけり」と言い切ったことで、自分をごまかそうとしない潔さ、現実を認める姿勢に、清々しさがあるからだ。古希を過ぎ、喜寿も過ぎれば、電車やバスで席を譲られるようにもなる。この清々しさは、そのような人々の好意を素直に受け入れ、前向きに生きて行く心に通じているのではないか。  少年時代はカンカン照りの中でも平気で走り回っていた。片蔭を求めるなど思いもつかなかった。それが…なのである。誰しも老いたくはないだろう。不老不死の薬を求めて…という話は世界中に散らばっている。遺伝子工学に望みをかける向きもある。だが、まだそれは見付かっていない。それにつけても、晩年を美しく、というのは難しい。 (光 21.08.20.)

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