遠雷や化粧落とせし我が素顔 田中 白山
遠雷や化粧落とせし我が素顔 田中 白山
『季のことば』
「遠雷」という季語とその響きには、多少の抒情と忍び寄る不安の影が籠っている。筆者の感覚だが、遠雷を聞きながら行く末や心配事をふと思うことがある。だれも雷が好きだという人はいないだろう。はるか遠くで鳴っている分には夏のひとつの風物にすぎない。ところがそれがだんだん近づいて来るとなれば、さまざまなおののきが生れる。ことに深夜であれば格別の思いがするだろう。近所あるいは最悪自分の家に落雷するのではなかろうかと。
この句の作者のことである。化粧を落としている最中というからまず就寝前か。遠くで雷鳴が聞こえる。「ああ、遠いな。心配ない」と実感し、稲光(これは秋の季語)がしてから雷鳴までの間を指折り数えるまでもない。ところが作者は驚いた。化粧を落とし終えた自分の素顔にである。急に年を取ったなと感じたのか、はたまた皺や染みが増えたのを発見したのか。もちろん寝る前に化粧を落とす習慣をもつのは女性であろうから、この句はとうぜん女性の作とみた。が、なんと名乗り出た作者は男性であり、しかも八十なかばのお方であった。みごとに騙された。化粧などするはずのない人がこんな句を作るとは一体なぜ。
「なりすましの句」の最たるものである。ブラックユーモア?いやはや、お若いです。
(葉 21.07.28.)