くるくると盥の胡瓜よく回る   嵐田 双歩

くるくると盥の胡瓜よく回る   嵐田 双歩 『この一句』  今年も猛暑であろう真夏に向けて清涼感あふれる一句だ。昔の、それもどちらかと言えば田舎の光景を詠んだ句であるとみたい。盥といっても木の桶はほとんど見受けられず、今やプラスチックのそれである。また水道の水を盥や桶に流しっ放しにするのは、省資源に反するから、これは今の光景ではないだろうと推測するのである。小流れを台所に引き込んで桶か盥に受けるのは、昔の田舎の家によくあった。令和の世にも琵琶湖の西、高島市のある集落では里山の湧き水を生水(しょうず)と呼び水路に流し、それを生活用水として利用する川端(かばた)が生き続けている。  冷たい清らかな水を張った盥に、緑の艶やかな胡瓜が4、5本くるくると回っている。ある程度の年齢の人ならこの光景は見たことがある。水の動きに身を任せて回る胡瓜の様は涼しさと食欲を刺激してなんとも好ましい。冷えた胡瓜に味噌かできればモロミをつけて齧り付けばこの上ない消夏法であろう。この句はそこまで想像させる。何気ない光景を詠んで、写真家の作者にはふだんから物事をよく観察する目があるのがうかがえる。一個の静物でしかない「胡瓜」の季語に動きを与えた。くわえて夏野菜の描写にとどまらず、胡瓜の美味さをも想像させる一句に仕立てたと思う。 (葉 21.07.07.)

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夏シャツやコロナワクチン打ち終える 髙石昌魚

夏シャツやコロナワクチン打ち終える 髙石昌魚 『この一句』  新型コロナ対策の決め手といわれるワクチン接種が全国で進んでいる。7月中には65歳以上の大半が2回目を打ち終えるという。さらに職域接種などで若い人への接種も始まった。オリンピックを成功させその勢いで総選挙を、と目論む菅政権の思惑はさておいて、感染しにくい、罹患しても重症化しにくいといわれるワクチン接種は、高齢者にとってはありがたい。  作者は高齢の医療従事者なので、接種の優先順位は高いと思われる。掲句を投句した6月初めには2回目も打ち終わったようだ。事実を淡々と述べているだけだが、明らかに安堵感が滲み出ている。やれやれ、とりあえず一安心、というわけだ。  季語「夏シャツ」は開襟シャツやアロハシャツの類で、最近ではTシャツも含まれるという。ワクチン接種は肩の辺りの筋肉注射なので、肩を出しやすい服装が推奨されている。袖をまくりやすい半袖シャツを着て、接種会場に出向いたらしい作者。「夏シャツ」に込めた想いが、切れ字「や」によってしみじみ伝わってくる。誠に時宜を得た句材で、この夏の世相を切り取った。 (双 21.07.06.)

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麦秋はほらiPhoneのなかに在る 金田青水

麦秋はほらiPhoneのなかに在る 金田青水 『この一句』  この句は俳句としては問題のある句だろう。「麦秋」が季語であるが、ここには「麦秋」の本意はなにも詠まれていない。「麦秋」のあらわす、刈入れ時の麦畑の広々とした景はどこにも見えない。「iPhoneのなかに在る」という措辞が置かれるばかりである。逆に、iPhoneのなかには何があるか?麦秋のみならず、新緑も、紅葉も、ありとあらゆる画像や映像がiPhoneのなかにはある。この句は「新緑はiPhoneのなかに在る」でも、「紅葉はiPhoneのなかに在る」と変えてもそのまま通用する。「季語が動く」どころではない。  そう思うにもかかわらず、筆者はこの句に一票を投じた。読んで思わず「そうだよなあ」と共感したのと、現代の世相を切り取った一篇の詩として成立していると思ったからである。 自分の知らない兼題が出されると、まずスマートフォンで画像検索してみるというのはわれわれの日常茶飯事である。この句は、そういう句作の実態をユーモアを交えて肯定的に捉えたものとして読める。 一方で、安易にスマートフォンに頼る時代の風潮に対する批判の句として読むことも可能である。そこは、「ほら」の二文字のニュアンスをどう解釈するかによって分かれる気がする。俳句としては疑問符がつくかもしれないが、誰よりもスマートフォンに依存している筆者は、耳に痛い句として読んだ。 (可 21.07.05.)

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休業の文字も滲んで迎え梅雨   河村 有弘 

休業の文字も滲んで迎え梅雨   河村 有弘  『合評会から』(三四郎句会) 賢一 長期休業の店の様子が良く解りますね。もう梅雨入りだよ、という「迎え梅雨」がいい。 雅博 コロナ禍の飲食店の状況が上手に表現されている。 進 休業が閉店にならなければ良いが・・・。 尚弘 コロナ時代の様子がよく表わされています。 照芳 コロナにより国内の不景気。双方が詠みこんでいる。 久敬 飲み屋さんの軒並み休業は本当にさみしいですね。 *       *       *  「休業の文字も滲んで」。句を見てまず、”中七”の「も」が気になった。酒場か食堂か、コロナ禍に遭った店のご主人が「休業」しかない、と思い切った、というのだが、一軒の状況を表すなら「文字の滲んで」で、よさそうである。やがて思い直した。これは一軒のことではなく、駅前など一つの商業地域を表しているのかも知れない、  「迎え梅雨」も気になった。めったに見ない季語だけに「走り梅雨」の方がいいのではないか、と。しかしやがて句の本質が見えてきた。今年の関東の状況を実によく表しているではないか。やがて、コロナ禍という歴史的な梅雨時を詠んだ秀句、と思えてきた。 (恂 21.07.04.)

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白靴のトラック野郎は女なり   中嶋 阿猿

白靴のトラック野郎は女なり   中嶋 阿猿 『季のことば』  句を読んで3度驚いた。白靴とトラック野郎の取り合わせにまず驚き、トラック野郎が女と言われて驚き、そして作者が女性と分かってさらに驚いた。  季語は「白靴(しろぐつ)」である。最近はめったにお目にかからないが、昔は男性も含め夏に白い靴を履くことが多かったため、夏の季語となっている。白服、白シャツ、白絣など、いずれも夏の季語だが、季節を問わずカラフルな着物が溢れる現代では、少し古臭く感じる。  掲句はその白靴を大型トラックの運転席から登場させる。トラック野郎とくれば、菅原文太のヒット映画を思い出す。電飾と極彩画に飾られた「デコトラ」に乗った文太が大暴れする痛快シリーズだ。上五中七で白い革靴を履いたトラッカーの文太を想像すると、下五の「女なり」で背負い投げを食らう。作者のたくらみに嵌まって、思わず笑ってしまった。「野郎」という言葉遣いから男性の作だと思い込まされたが、十七文字の中でイメージを逆転させる〝剛腕〟には唸るしかない。  映画の「トラック野郎」は全10作が作られ、女性トラッカーも何人か登場する。中でも第5作で紅弁天役を演じた八代亜紀が印象深い。この映画を機にトラック運転手に八代亜紀ファンが増えたと言われる。白い靴を履いた八代亜紀が大型トラックから颯爽と降りて来る場面を想像しながら句を読み返すと、さらに楽しくなる。 (迷 21.07.02.)

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梅漬ける八十四年の皺深し    大澤 水牛

梅漬ける八十四年の皺深し    大澤 水牛 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 実千代 なんともいえない沢山の思いが梅を通して伝わります。 三代 生きてきた年月をしみじみと感じさせる句。梅と皺が響いています。 操 梅干にせよ、梅酒にせよ根のいる作業。手のひらの皺に歳月を感じる。 弥生 この句の素晴らしさは「八十四年の皺」という措辞の巧みさ。梅を漬けている人物、梅漬けの知恵や味、等々へ読み手の想像をかきたてます。 水兔 梅漬けはコロナ禍でも失なわれない楽しみの一つですね。手の皺は、仕事をし続けた勲章です。 十三妹 う〜む!!とうなりました。しわしわの手に、献点。 てる夫 眉間に皺なぞ見せたことがない精力的な活動をこの先もずーっと続けられますように。 冷峰 年季の入った姿が目に浮かびます。御長命に乾杯! 三薬 老人の皺と梅干の皺を連想させるテクは、八十翁先輩にしては月並だったかとも思うが、毎年梅と戦うその気力体力を称賛するべきだ。 ゆり 作者と思われる方の梅干は、絶品です。思い浮かべるだけで、口の奥がキュンとします。 反平 水牛さんの梅干、うまかった!        *       *       *  八十半ばの作者は今年、十一キログラムもの梅を梅干や梅酒に仕込んだという。梅仕事は結構面倒だ。きれいに洗って、乾かして、一個ずつヘタを取って……。歳を取ると、何かと億劫になってやる気が起きなくなりがちだが、作者は違う。これを毎年やっている。しかもその原動力は「人にあ…

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