石段を数えて登る薄暑かな 加藤 明生
石段を数えて登る薄暑かな 加藤 明生
『季のことば』
平らな道を歩いていても躓くことは珍しくないという――そんな年頃になった方が句会仲間に多い。なべて高いところにある神社や寺院には石段があり、それも数十段ときには数百段もある。登れば息切れもするし足も上がらなくなる。戦乱の時代には城塞の役割を担ったのだから、長い急傾斜の登り口となるのも当然といえる。筆者は俳句会の「逆回り奥の細道吟行」で行った山寺(山形・立石寺)の石段を思い出す。初秋の頃であったが、曲がりくねりながら延々と続く石段に辟易した。ただ登り切った先、五大堂から見下ろす絶景が途中でかいた大汗を一気に引かせてくれた。
掲句である。ときは「薄暑」の季節。作者はおそらく汗をかきながら石段を登っている。どこの社寺を思い浮かべるのも読み手の思いのまま。石段を登る辛さがそれぞれの経験とともによみがえってくる。一読してなんともないような句とも言えるが、味わいのある句と思う。初夏の暑さのなか、社寺の目くるめくような石段を上がってゆく。あえて上を見ず、慎重に足元の段を数えながらというところに、高みの社寺の本殿や本堂が隠れている。盛夏でない「薄暑」の季語がほどよく効いて足弱になりつつある一人として見逃すことのできない句になったと思う。
(葉 21.06.30.)