秩父連山晴れの日に咲く牡丹かな 野田冷峰
秩父連山晴れの日に咲く牡丹かな 野田冷峰
『この一句』
誰にでも「自分の好きなタイプの句」があるはずで、私にとっては掲句がその一例と言えるだろう。同じような句を何度も選んでしまうので「どこかで見たような気がするなぁ」と思うこともあるが、好きな句なら何度出てきてもいい。作者が類句を知らずに作ることもあるはずだし、それに気づいて句に工夫を加えているなら、それでもいいのではないだろうか。
晴れた日に東京の西部地域から西の方を眺めると、富士山の右手に秩父の山々が連なっている。掲句はそんな大パノラマを眺めながらの作なのだろう。そして作者は、晴れ渡ったその日を選んだかのように「牡丹が開いた」と詠んだ。秩父連山を詠んだ句は無数にあるはずだが、この句は牡丹を配して独特の世界を描きだした。私はためらわずにこの句を選んでいる。
作者が判明した時、私は「なるほど」と頷いた。彼は西武池袋線沿線の住民なのだ。都心から西に向かう下りのJR中央線、西武新宿線、西武池袋線、東武東上線、これらの電鉄の進行方向左側の窓から富士や秩父の山々を望むことが出来る。晴れの日の夕方は窓の向こうの山々を眺めている人をよく見かける。私はそれらの人々を、同志のように思ってしまうのである。
(恂 21.06.28.)