地下足袋で昼の憩いや冷し汁   篠田  朗

地下足袋で昼の憩いや冷し汁   篠田  朗 『この一句』  「地下足袋で」は「地下足袋のままで」ということだ。「地下足袋は脱がずに」と言い直してもいい。作者はこの時、庭の手入れの最中だった、と想像出来よう。シャベルや鍬などを持ち出し、けっこう大変な仕事を始めているに違いない。やがて昼の休憩時間になり、奥さんに声を掛けた。冷蔵庫に入れておいた冷汁が、ほどなく運ばれて来るはずである。  掲句において、季語「冷し汁」以上に重要な役割を持つのが「地下足袋」だと思う。園芸好きの友人によると、地下足袋を履くか履かないかによって、庭仕事のレベルが決まるそうだ。古びたスポーツ靴を履くようでは、アマ庭師としてB級止まり。コハゼ八枚、十枚というような長靴状の地下足袋を履いてこその「庭師のはしくれ」なのだという。  作者は縁に腰を下ろした。冷し汁の丼を両手に持って、まず一口。すでに一汗も二汗もかいていた。履いたままの地下足袋が、昼の憩いの後の仕事続行を示す。そうか、冷し汁は労働の際の飲み物なのだ、と私は気づいた。ネットで調べたところ、「袋入りの冷汁の素」が売り出されていた。この夏の庭仕事の際は、冷汁の素を試してみよう、と私は考えている。 (恂 21.06.07.)

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摘果終へ父と並んで冷し汁    中村 迷哲

摘果終へ父と並んで冷し汁    中村 迷哲 『この一句』  「冷汁」という五月句会の兼題。九州に生まれ育った句友の作品が大好評を得た。幼少から馴染んできた郷土食であり、実景や実体験をほどよく織り込めるせいだろう。夏に冷やした汁で食事するのは、いまや全国で見られるのだが、やはり本場は大分、宮崎あたり。本場の冷汁は焼いた鯵をほぐし、麦味噌をといた汁に胡瓜、大葉や茗荷など薬味をくわえ、そのうえ氷でも浮かべれば一丁上がり。これを冷や飯にかけてかっ込む。余談ながら以前の筆者は居酒屋に行って冷や汁の昼めしをするのが好きだった。  この句は作者の思い出の一場面であろう。佐賀出身の作者は父君、母君の思い出を詠んでよく高点をさらう。この句もそれにぴたりはまった作品だ。景は父子ふたりで庭のなにかの果樹か、あるいは畑の胡瓜や茄子の果菜の間引きを終え、やれやれと昼食に向かうところ。母君が用意の昼ご飯には冷やした汁がついている。「父と並んで」とあるから、向かい合わせのダイニングではなく縁側を想像する。作業着のまま隣り合わせに座っているが、父子の間にはあえて会話は必要としない。父親の疲れを気遣いながら、ぼそぼそ収穫時の相談でもしているのか。果樹だとしたらなんの樹だろうか。「摘果」の措辞が二人の手慣れた農作業を思わせ、雰囲気のある句となっている。 (葉 21.06.06.)

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冷飯に冷汁かけて独り飯    井上 庄一郎

冷飯に冷汁かけて独り飯    井上 庄一郎 『この一句』  一読、独居老人の背中が見えた。そして、待てよこれはコロナ禍により失職した独身フリーターの昼餉の情景かなとも思った。時事を表す文言は無いけれど、「今」を詠んだ句かも知れないと思ったのである。これが晩食となるとさらに侘しさが募るなあ、自分もいつこうなるのかなと、思わずため息が出た。  しかし、再読、三読して、はてと思った。この句はそんなありふれた「侘しさ」をかこつ単純な句ではなさそうだ。  選句表が送られて来た段階では、そんなことをあれこれ思い巡らせつつ、結局この句に対する思いや評価が定まらず、そのまま見送ってしまった。「月報」が出来上がって作者名が分かってみると、やはり通り一遍の「侘しさ」やうらぶれた情景を詠んだものではないという、後の考えが正しかったことが分かった。悠々自適、日経俳句会最長老の句だったのである。  「冷汁」は宮崎のものばかりが喧伝されているが、全国いたる所にある農民食である。関東近辺では作者の生まれ育った埼玉は冷汁の本場である。たまたま奥方不在の昼餉に冷御飯に冷汁をかけて、若き頃を思い出されての一句だろう。ぶっきらぼうに放り出したように詠んだところが、さらっとした感じである。 (水 21.06.04.)

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老親に仕送りをして冷し汁    旙山 芳之

老親に仕送りをして冷し汁    旙山 芳之 『季のことば』  私(筆者)が冷汁(冷や汁)口にした経験はただ一度しかない。四〇年以上も前、ゴルフの取材で宮崎県を訪れた際のこと。他社の記者に「宮崎に来たなら冷汁を飲まなければ」と誘われ、街中の食堂で一杯頂いた。予備知識ゼロのまま一口含んだ時、「えっ、こんな味なの?」と驚いた。炒った魚粉、味噌、すり胡麻などの味や香りが混ざり合い、当然ながら冷えていたのだ。  暑い盛りだった。私を誘った記者は冷汁が出てくると、どんぶり大の器を両手で包んで冷え具合を確かめ、「これでいい」と頷いていた。冷汁が埼玉県にもあることを後に知ったが、私には東京から大きく隔たった地域の「変わった飲み物」という印象しかない。二度と飲まない、とは言わないが、敢えて口にするほどではない。それが今日までの私の冷し汁感であった。  ところが不思議。掲句を見た瞬間、冷し汁の味と香りが頭の中に蘇ってきた。もう一度、味わってみたい、という案外な思いも生まれた。宮崎県に秘蔵されてきた媚薬にも似た味わいの威力か、などとも考えた。「老親に仕送りする」という、私には体験のない行動によって、感情が揺すぶられたことにも関係がありそうだ。一種のショック現象かな、とも思っている。 (恂 21.06.03.)

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冷汁や麦味噌の香の懐かしき   岩田 三代

冷汁や麦味噌の香の懐かしき   岩田 三代 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 麦味噌の香りはいいですね。冷や汁と合いますよ。 木葉 九州は麦味噌が一般的とか。その麦味噌の香りが懐かしい作者は九州育ちだろうか。冷汁という郷土食に、麦味噌を小道具に使って望郷の念を詠んだのかと想像します。 青水 久しぶりの冷汁に感じたノスタルジアを詠んでいる。幼児より冷汁に親しんだ人の感懐。 迷哲 九州育ちで麦味噌に慣れ親しんだ身には、味と香りが浮かんできて、採らざるを得ません。 十三妹 ふっと笠智衆と東山千栄子のワンシーンが。モノクロで浮かんでくるような……。            *       *       *  味噌の主原料は大豆だが、麦麹を使ったものを麦味噌と呼ぶ。裏作に麦を作ることの多かった九州と山口県、愛媛県で特に好まれ消費されているという。米麹味噌に比べて塩分が低く、麹の量が多いので甘みが強く、香りも豊か。愛媛育ちの作者は冷汁を久しぶりに食べて、麦味噌の香に故郷を懐かしく思い出したのであろう。  冷汁は出汁と味噌で味付けした汁をご飯にかけて食べる郷土料理で、宮崎、埼玉、山形など日本各地に残る。南伊予には、鯵と麦味噌を磨り混ぜて出汁で溶いた「さつま」と呼ぶ冷汁があると聞く。作者は麦味噌の味わいとともに、故郷・愛媛の山河や、そこに暮らす人々に思いを馳せたに違いない。 (迷 21.06.02.)

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菖蒲咲く仮免教習初路上     鈴木 雀九

菖蒲咲く仮免教習初路上     鈴木 雀九 『合評会から』(日経俳句会) 阿猿 教習所に通い始めたのはまだ肌寒さの残る季節で、やっと仮免で路上に出たら菖蒲の季節になっていたと、時間の経過がある。 水馬 仮免で初路上の緊張感を表現しているのはお上手。なかなかこの発想は出て来ない。 早苗 リズムが素晴らしい。菖蒲の風情あるたたずまいと自動車免許教習との風景が組み合わさって新鮮。       *       *       *  なるほど、菖蒲のある風景と車を運転する人にとってはあまり思い出したくない免許教習を掛け合わせていて目を引く句だ。大方が経験した通り、路上教習に出るまでにはかなりの教習時間が必要になる。今はどうか知らないが、昔の教官のなかには居丈高の人物もいて気分を悪くした。「菖蒲咲く」で心地よい季節の到来と道端の花菖蒲の鮮やかさが実感できる。これが教習の憂さを昇華しているようだ。「仮免教習初路上」と漢字の羅列は窮屈といえば窮屈に見えるが、待ちに待った初めての路上教習の緊張とうれしさがない交ぜになった心理がうかがえて効果を出したと思う。 (葉 21.06.01.)

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