家族写真庭先で撮る遅日かな 中嶋 阿猿
家族写真庭先で撮る遅日かな 中嶋 阿猿
『この一句』
「家族写真」とは懐かしい言葉を聞くものだと思った。昔、と言っても昭和40年代初頭くらいまで、まだカメラや写真というものが貴重だった時代には、正月やお父さん、お母さんはじめ家族の誰かの誕生日、誰かの入学祝い等々、家族にとって記念すべき日には写真屋を呼んで一家揃っての写真を撮った。時には家族打ち揃いおめかししてぞろぞろと写真館へ行って、スタジオで写すこともした。
そのもっと昔、昭和戦前戦中には、お兄ちゃんが陸軍士官学校や海軍兵学校に入学が決まったり、赤紙(召集令状)が来ていざ出征という時に、本人一人の写真撮影はもちろん、お兄ちゃんを囲んで家族全員の写真を撮った。その多くが程なく、本当の記念写真となった。
今やデジカメやそれよりもっとお手軽なスマホ全盛。やたらに撮りまくる。失敗すれば消去すればいいのだから何と言う事はない。あまりにも簡単に撮れるものだから、写真の有難味が薄れてしまった。家族全員が盛装してオジイチャン・オバアチャンを真ん中に、両親がはさみ、兄弟姉妹、その子供たち、孫たちも、ひな壇に収まっての家族写真を撮る家庭が、今やどのくらいあるのだろうか。息子、娘の結婚式の集合写真くらいがせいぜいなのではないか。
この句は春日の午後、庭先で家族写真を撮るというのだから、「ああまだこうした良き習慣を残している家もあるのだなあ」と感じ入った。まさにうららかそのものである。
(水 21.05.19.)