気がつけば尻の冷たき潮干狩   嵐田 双歩

気がつけば尻の冷たき潮干狩   嵐田 双歩 『この一句』  千葉ニュータウン在住の作者だから、舞台は同じく千葉の富津海岸や九十九里浜のどこかであろう。毎年ゴールデンウイークともなれば、恐ろしいほどの数の家族連れが押し寄せ浜は芋の子を洗うような混雑となる。テレビニュースでお馴染みの光景である。 作者の子女は長じており、一家を立てて久しいだろうと思うから、家族の昔の思い出か、あるいは孫を連れての潮干狩り光景かと想像する。言われてみれば「あるある」という経験を句にし、四月例会で最高点を獲得した。軽みのある俳句らしい俳句で、作者の手練れぶりが遺憾なく発揮されていると思うのである。  ここは孫との潮干狩りと場面を想定しコメントを続ける。昭和三十年代の銭湯のような込み具合だから、他の家族の侵入を許さぬよう〝領地を死守〟しながら孫の浅利掻きを手伝う。「ほれ、そこそこ」とでも言いながら中腰がだんだん低くなり、しまいには尻が海水についてしまう。孫も夢中、自分も夢中だから当座はズボンが濡れているのにも気が付かない。それなりに収穫を得て、やれやれと思った瞬間のこと。尻が冷たいのに思い当たり、触ってみれば濡れていたというのだ。  さて、地元漁協の一部は浅利のほか人気の蛤も浜に撒いて集客を誘うようだが、コロナ禍二年目の今年の人出はどうだろうか。 (葉 21.05.07.)

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江戸の海この辺までと老柳    植村 方円

江戸の海この辺までと老柳    植村 方円 『合評会から』(日経俳句会) 而云 柳の老木が生き残っている。旧家の門の横か、道路の脇か。久しぶりに柳を見た作者は、「江戸時代はあの辺まで海だった」と思う。 静舟 銀座の柳か。埋め立ての地の銀座の特徴を老柳で端的に表現している。 三薬 銀座か品川宿あたりか。柳並木の一画に立つ名所案内板には、ここらは昔海だった、と書かれている。老いた柳のたたずまいが、街並みにふさわしい。 雀九 新橋、品川の今は街中の老柳も、かつては浜風に揺れていた。 水馬 江戸の町は土手を守るための柳並木が多かったようです。銀座の風景も彷彿とさせる句ですね。 水口 江戸の海を見ていた老柳のつぶやきが聞こえてきます。老人が昔を物語っている風情もあって、まとまりのいい一句。 *       *       * 作者の弁「銀座と新橋の間、高速道路のガード下にあるあの記念碑と、側にある痩せこけた柳を思い起こして作りました。あのあたり、昔『橋善』という天ぷら屋があり、かき揚げが名物でした。年に数回、一家そろって橋善に行くのが最高のごちそうでした。懐かしいところです」。 これがすべてを語っているのだが、舞台裏をあからさまにすると、この辺の柳は戦災ですっかり無くなり、その後に植えられたものは1964年の東京五輪当時の区画整理で根こそぎにされ、「老柳」は絶無。その後に植えられたのが今やみずみずしい枝葉をそよがせている。 (水 21.05.06.)

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泣きじゃくる赤子の頬に花吹雪  久保田 操

泣きじゃくる赤子の頬に花吹雪  久保田 操 『季のことば』  桜ほど日本人に愛されてきた花はない。咲くにつけ散るにつけ、桜の花に心情を重ねて俳句や短歌に詠んできた。花と言えば桜を指し、関連する季語も多い。散る桜を表す季語だけでも、落花、飛花、花散る、散る桜、花の塵、花筏など枚挙にいとまがない。花吹雪もそのひとつで、咲き誇った桜が風に散り乱れる様を吹雪に譬えたものである。  掲句はその花吹雪に泣きじゃくる赤ん坊を取り合わせる。眠る赤ちゃんや笑う子供と桜の花を詠んだ句は時々見るが、泣きじゃくる子は意外性があり、俳諧味を感じる。実際に見た光景を詠んだ写生句でもおかしくないが、意識して取り合わせた句と考えたい。花吹雪は盛りを過ぎた桜が、最後に見せる壮麗な滅びの舞である。これに対し、泣きじゃくる赤子は懸命に生きようとする生命力の象徴といえる。滅びの美と生命の泣き声が一句の中で交錯する。  同じ日経俳句会に「花吹雪両手に受けて吾子駆ける」(岩田三代)の句も出され、高点を得た。花吹雪を掴もうと駆け回る子供の姿が浮かんできて、微笑ましい。幼子と花吹雪の句が、同じ句会で並んだのは偶然も知れない。しかし滅びをはらんだ花吹雪の妖しい美しさに対抗するものとして、無意識のうちに幼子のパワーを求めたと思えてならない。 (迷 21.05.05.)

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遅き日や部活終りのトンボがけ  向井 ゆり

遅き日や部活終りのトンボがけ  向井 ゆり 『合評会から』 三代 日が長くなり、夕方遅くまでの部活動を終えてトンボがけしている部員の姿が浮かびます。 鷹洋 陽がまさに落ちようとする時、長時間の練習を終えた運動部員が黙々と地ならししている。私も幾年か立ちあっただけに、一入懐かしく感じました。 朗 練習の充実感と薄暮の感じがマッチしています。青春讃歌ですね。 迷哲 中学時代を思い出しました。伸びてきた夕陽の影が見えるようです。 三薬 日が伸びた校庭ののどかな時間。しごかれてフラフラ、なにが長閑だ、と怒る向きもあるだろうが。「部活やめなさい」都知事が指示を出す昨今、こんな風景も遠くなりました。         *        *        *    「トンボ」とは正しくは「グラウンドレーキ」といい、野球場などのグラウンドの地ならし道具。蜻蛉に形が似ているのでそう呼ばれるようになったという。  学校の部活動の場合、グラウンド整備は一年生がやらされるのが通り相場だ。上級生が帰り支度をしているのを横目に、黙々とトンボを引いている坊主頭の少年たちが思い浮かぶ。トンボかけの手を休め、汗を拭う。ふと夕日が目に入った。「あれ、なんかまだ明るい」。子供心にも遅日を実感するのはこんな時だろう。  三薬さんも触れているとおり、コロナの影響で全国各地の学校で部活が休止になっていると聞く。「学生達が普通の学校生活を取り戻せるように」、作者がこの句に込めた思いだという。 (双 21.05.04…

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いくたびの試練の銀座柳かな   旙山 芳之

いくたびの試練の銀座柳かな   旙山 芳之 『合評会から』(日経俳句会) 反平 銀座の柳とくれば藤山一郎を思い出すけれど、関東大震災、戦災、そしてコロナと人通りを減らす災厄があった。今の柳は何代目なのだろう。 木葉 柳といえば銀座で定番の詠みだが、名物の柳並木も戦災やら行政の恣意やらで無くなったりした歴史がある。いまは西銀座に柳通りとしてわずかに生き残っている。不死身の柳にエールを送る作者なのでしょう。 阿猿 先週久しぶりに銀座を訪れた。東京五輪を見越してリニューアルした駅に人影はまばらだったが、百貨店の食料品売り場は大混雑。銀座という街のしぶとさを感じた。なんとなくそれと結びついた句だったので。 冷峰 歌にも詠まれ、戦火を潜り抜けた銀座の柳は風情があります。            *       *       *  作者は「銀座は今回の試練も柳のようにしなやかに耐えて、乗り越えるだろうという思いを込めました」と自句自解している。木葉さんの言うように、今、銀座の柳と言うと「柳通り」が真っ先に浮かぶのだろうが、私は銀座のハズレの新橋に近い“9丁目”高速道路沿いの柳並木が中々のものと思う。句友の方円さんと何かのはずみに、この近くにあった巨大な掻き揚げが名物の天ぷら橋善の話になった。橋善は潰れてしまったが、天国や佃煮の玉木屋などは頑張って居り、銀座・新橋の場末が意外に面白い。ひょろひょろだった柳も今や立派な並木になった。 (水 21.05.03.)

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ため池を姿見にして若柳     堤 てる夫

ため池を姿見にして若柳     堤 てる夫 『この一句』  作者の住む信州塩田平には、農業用のため池が点在する。句材を求めて近隣をよく散策する作者は、ため池のほとりで柳の若木を見つけ、この句を得たのではないか。ひょろりと伸びた柳の木が、緑の芽をつけた枝を伸ばし、水面に影を映している。あたかも柳が人間の如く池にわが身を映し、身を整えているように見えたのであろう。  春爛漫の光景がくっきりと浮かび、池を吹き渡る風さえ感じられる爽やかな句であり、日経俳句会の4月例会で最高点を得た。選者の句評を読むと「江戸の美人画を見るようだ」(ヲブラダ)とか、「若い女性の仕草を連想させる」(弥生)など、女性をイメージした人が多かった。  柳眉や柳腰の言葉が示すように、柳は女性的なものとして捉えられてきた。柳の下に出る幽霊もなべて女性である。曲がりくねった幹が女性の肢体を思わせ、風にそよぐ枝は細い腕とも揺れる髪とも見えるからであろう。  水牛歳時記によれば、柳は雌雄異株で日本の枝垂れ柳はほとんどが雄の木との説があるという。奈良時代に中国からもたらされた枝垂れ柳が雄で、その枝が挿し木されて次から次へと日本中に広まったからだということらしい。真偽は不明なようだが、なよなよしていても雄の木だとすると、さて句の解釈も違ってくる? (迷 21.05.02.)

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