テキストに欠伸一つ永き日や   久保 道子

テキストに欠伸一つ永き日や   久保 道子 『おかめはちもく』  なにかの自習テキストとにらめっこしているのであろう。もしかしたら“コロナ籠もり”を契機に、長年やりたい、学びたいと思いながら取りかかれなかった課題に挑戦したのかもしれない。  しかし、事志と異なって、テキストを読み始めるとすぐに眠気に襲われる。渋茶を飲んだり、そこいらをぐるぐる回ったり、ラジオ体操のようなものをやってみたりするのだが、さてまた机に向かうと眠くなる。まさに春の日である。  誰もが経験していることをすっと詠んでいるところがなかなか良い。しかし、問題は5・6・5という「字足らず」である。漢語で「欠伸」と書いて「ケンシン」と読み、日本でも古い書物にそう読ませる例があることはあるが、まさか現代俳句でそんな音読を用いたわけではなかろう。  世界最短の詩と言われる俳句は、「せめてもう一字でも二字でも使えれば」と詠み手を悔しがらせる短さである。だから、「破調」と言われるのを覚悟の上で「字余り」句を作ったりする。それなのに、この句は字足らずのままで「もったいない」と言われかねない。とにかく、「字余り句」は場合によっては許されるが、「字足らず」はいけない。それに、これは「意気込んでテキストに向かったが眠気を催してしまう有様です」という諧謔の句である。諧謔句は特に定型を守り、リズム良く詠んでこそ面白さが伝わる。 前後入れ替えて「永き日やテキスト前に大欠伸」とでもすれば、とにかく形が整うのではないか。 (水 21.04…

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