近き人逝きて余生や暮の春 斉山 満智
近き人逝きて余生や暮の春 斉山 満智
『この一句』
「近き人」とはまことに簡潔な表現である。親兄弟ではなく、単なる仲のいい人でもない。従兄弟(従姉妹)あたりまで含めた、長い付き合いを持つ人。特に何でも話せる、信頼の置ける人だった、と推測出来よう。世の中に二人といないような人が亡くなってしまったのである。心の中に大きな穴がぽっかりと開いたという状況なのだろう。
そんな自分の心を見つめて「近き人逝きて余生や」とは、これまた何とも言いようのない簡潔さである。「これからの歳月は、私にはもう余生の日々なのだ」。亡き人は同い年か、いや、年の差は関係ないかな・・・。しかし、と考え込んだ。深い悲しみとか、嘆きなどとは、やや異なる次元の何かが、「暮の春」の中に漂っているようにも思える。
「近き人とは?」と作者に尋ねてみるか、とも思ったが、やめることにした。俳句という詩は、わずか十五音で全てを表わし、読む側もその中から全てを汲み取らなければならない。想像の幅を思い切って広げて見ることにした。もしかしたら作者の傾倒する作家が亡くなって・・・。そんな「近き人」だったら、いくらか気が楽になるのだが。
(恂 21.04.22.)