休耕田紫雲英に染まり甦る 久保田 操
休耕田紫雲英に染まり甦る 久保田 操
『この一句』
田畑は長年耕作し続けると、病害虫がはびこり出し、収穫量が落ちて来ることがある。そこで耕土の疲れを癒やすのと、病害虫の卵や細菌、エサになるようなものを失くすために半年なり一年休ませる。大概は田畑の上で枯れた雑草や藁を焼く。こうして病害虫を殺すと同時に、燃えカスの灰が表面を覆い肥料となる。その後に紫雲英(ゲンゲ)や馬肥(ウマゴヤシ)など田畑に有益な作用をもたらす根粒菌を持つ草のタネを蒔いて放置する。昔はこれを休耕田(畑)と言った。
ところが近ごろの農村地帯の事情は昔と大いに異なり、耕作の担い手が無くなったり、国の減反政策に応じてといった休耕田が多い。都市近郊の農村地帯では“田畑として活用しているふり”をして紫雲英や草花をはやして宅地並み課税を免れている休耕田もある。トヨアシハラミヅホノクニの堕落である。
しかし、本当の休耕田であろうと、税金逃れの休耕畑であろうと、そこに咲いている紫雲英に罪は無い。春になれば緑の葉を茂らせ、赤紫の可憐な花を一斉に咲かせる。雑草が生い茂り手入らずの荒れ果てた田畑が生き返ったようだ。中には粋な地主もいて、そこに山羊を放したり、誰もが入って遊べるように開放している休耕田もある。親子連れがそうした紫雲英の田畑でピクニックしている情景は楽しく、まさにこの句のような雰囲気である。
(水 21.04.18.)