水温むたった五分の渡し舟   玉田 春陽子

水温むたった五分の渡し舟   玉田 春陽子 『この一句』  作者によれば、この渡し舟は作者がまだ子供の頃に、母の実家に行くために初めて乗った渡し舟らしい。一方で、この句を選んだ人には、矢切の渡しや、浦賀の渡し、吟行で行った松山の三津の渡しなど、観光用を兼ねた渡し舟を思い浮かべた人が多かったようである。  筆者はこの句を読んで、大阪の安治川や木津川の河口近く、行政区でいえば大正区や港区にあった、生活に密着した渡し舟を思い浮かべた。今もあるのかとホームページで調べると、なんといまも八か所もあるらしい。通勤や通学の、あるいは買い物のための、足となっている渡し舟で、自転車のまま乗船する人も多い。勤め人は昨日の阪神の負け試合のぼやき話、おばちゃんはスーパーのチラシを手に、高いとか安いとかやかましく、高校生は今日の午後どうして学校をサボるか相談している、そんな渡し舟を思い描いた。  この句の上手さは、やはり「たった五分の」という措辞にあるだろう。句意は、たった五分の乗船ながらも、渡し舟の風情と水温む季節感を感じた、と解すべきだろう。上記の渡し舟は、どれもまわりは工場街の風景ばかりで、あまり風光明媚とは言えないが、それでも春風駘蕩し水温む季節を感じることは十分出来るはず。むしろそんなシチュエーションの方が、詩興としては豊かなような気もする。この渡し舟、いまも無料らしい。今度機会があれば乗ってみよう。 (可 21.04.05.)

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