春異動送別の辞もオンライン   荻野 雅史

春異動送別の辞もオンライン   荻野 雅史 『この一句』  サラリーマンや公務員にとって春は人事異動の季節である。3月決算の会社が多く、年度替わりが重なる3月、4月には新聞の経済面は人事記事で埋まる。異動の内示があると、送別会が設営される。部や課の単位で催される公式のもの、親しい仲間を送るプライベートなもの、地方転勤や海外異動ともなれば、送られる側は連夜の送別会も珍しくない。  そんな春の風景もコロナ禍で様変わりした。「在宅勤務7割以上」との政府要請もあり、多くの社員が自宅でリモートワークを余儀なくされている。そうした時でも人事異動はある。内示は対面かも知れないが、辞令交付も入社式もオンライン。多数集まっての送別会など望むべくもない。 掲句はそんな時代を切り取って詠んだもの。送別の辞をメールでという単純な話ではないだろう。仲間の旅立ちを祝い、オンライン会議方式で送別会が開かれたと解したい。パソコン画面に参加者の顔が並び、送別の言葉を述べる。顔が見えるとは言え、回線越しの隔靴掻痒感はぬぐえない。  送別会はサラリーマンの悲喜こもごもが交錯する場である。新任地への抱負を語る者があれば、意に染まぬ異動に不満を漏らす者もいる。送別の辞は、相手をねぎらい、励まし、元気に送り出すものでありたい。サラリと詠んだ句のように見えるが、「送別の辞も」の「も」には、それが叶わない悔しさや残念な思いが込められているように感じる。 (迷 21.04.07.)

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黙々と距離取る子等の春浅し   田村 豊生

黙々と距離取る子等の春浅し   田村 豊生 『この一句』  黙々と互いの距離を取る子供たち。「何やっているの?」「どうして?」などといぶかる人は今どきいないはず。いわゆるソーシャルディスタンスである。コロナ禍によるウィルスの感染から身を守るための「三密」(密閉・密集・密接)を避ける距離のことだ。人と人の間を一定以上の距離(おおよそ二㍍だという)を取らねばならない。  句の子等は小学生か、もしかしたら幼稚園児かも知れない。運動場か体育館に集合した時の様子と思われるが、子供たちは昨年来、何度も何度も互いの距離をとることを実習してきたのだ。先生の指示を受けるまでもなく、前後・左右を見まわし、互いの距離を保ちながら黙々と整列する。上手くできたことを喜ぶべきか、悲しむべきか。  この句会の兼題の一つが「春浅し」だった。掲句の場合、兼題に相応しい状況を探したのだろうか。幼稚園などでこの様子を見て、そうだ兼題は「春浅し」だった、と気づいたのか。ともかく季語の「春浅し」は句の状況とぴったりで、実に寒々とした様子と見ることも出来よう。子供たちはコロナ社会をどうやり過ごしていくのだろうか。 (恂 21.04.06.)

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水温むたった五分の渡し舟   玉田 春陽子

水温むたった五分の渡し舟   玉田 春陽子 『この一句』  作者によれば、この渡し舟は作者がまだ子供の頃に、母の実家に行くために初めて乗った渡し舟らしい。一方で、この句を選んだ人には、矢切の渡しや、浦賀の渡し、吟行で行った松山の三津の渡しなど、観光用を兼ねた渡し舟を思い浮かべた人が多かったようである。  筆者はこの句を読んで、大阪の安治川や木津川の河口近く、行政区でいえば大正区や港区にあった、生活に密着した渡し舟を思い浮かべた。今もあるのかとホームページで調べると、なんといまも八か所もあるらしい。通勤や通学の、あるいは買い物のための、足となっている渡し舟で、自転車のまま乗船する人も多い。勤め人は昨日の阪神の負け試合のぼやき話、おばちゃんはスーパーのチラシを手に、高いとか安いとかやかましく、高校生は今日の午後どうして学校をサボるか相談している、そんな渡し舟を思い描いた。  この句の上手さは、やはり「たった五分の」という措辞にあるだろう。句意は、たった五分の乗船ながらも、渡し舟の風情と水温む季節感を感じた、と解すべきだろう。上記の渡し舟は、どれもまわりは工場街の風景ばかりで、あまり風光明媚とは言えないが、それでも春風駘蕩し水温む季節を感じることは十分出来るはず。むしろそんなシチュエーションの方が、詩興としては豊かなような気もする。この渡し舟、いまも無料らしい。今度機会があれば乗ってみよう。 (可 21.04.05.)

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復旧の一番電車さくら咲く    高井 百子

復旧の一番電車さくら咲く    高井 百子 『この一句』  「上田電鉄別所線全線で運行再開――長野、台風19号で被災」。3月29日付け日経朝刊に写真付きで載っていた。掲句一読、この開通話を詠んだのだと思った。しかも、作者はあの人だろうと想像もついた。句会のみんなも同じだった。  というのも、作者夫妻は上田在住で、自宅前を別所線電車が通っているからだ。その路線が2019年秋の台風で、千曲川に架かる名物の赤い鉄橋が崩落して以来、長い間、代替輸送による不便を強いられてきた。その間、夫妻はその別所線の定点観測を続け、お互いに佳句を連発してきた。  以下、時系列で並べると、「橋墜ちる暴れ千曲の秋驟雨」(てる夫)、「流木を中洲に残し冬千曲」(てる夫)、「鮎来るや千曲は重機工事中」(てる夫)、「復興の千曲川岸霞立つ」(百子)、「春立つや崩落鉄橋繋がりぬ」(百子)。そして掲句に至る。  この句はまた、特定の路線ではなく、震災で被災した三陸鉄道を始め、風水害による各地のローカル線など、読者が自由に舞台を想像できる点でも優れている。  「さくら咲く」という昭和のころの入試合格通知にも似ためでたい季語を得て、句会参加者の半数、10人もが掲句を選んだ。句会では口々に「良かったね。おめでとう!」と祝福の声。正に〝座の文芸〟の面目躍如である。 (双 21.04.04.)

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菜を断てば指に黄砂の淡き粒   徳永 木葉

菜を断てば指に黄砂の淡き粒   徳永 木葉 『季のことば』  黄砂は春に中国北西部やモンゴルで強風に巻き上げられた砂塵をいう。偏西風に乗って日本にも飛来する。春到来を告げる気象現象である。水牛歳時記によれば、季語としては霾(つちふる)が伝統的で、よなぐもり、霾風(ばいふう)、霾天なども同類の季語とされる。黄砂の多い日は日光が遮られてどんよりと曇り、大陸に近い地域は洗濯物が汚れたり、草木の葉や車の屋根に細かい砂が積もったりする。 掲句は包丁で野菜を切っている時に、指先で黄砂を捉えた場面を詠む。砂や泥が入り込む野菜と言えば葉物になるが、「断つ」という動詞をわざわざ使っているところから、茎が固い白菜やチンゲン菜を力を入れて切ったのであろう。これらの野菜は切った後に水洗して、根元の砂をきれいに落とさないと、料理が台無しになる。 作者は茎を断ち切った時に、いつもと違う細かい黄色い粒が指先に付いているのに気づき、「そうか黄砂か」と思い至ったのであろう。緊急事態宣言が解除されたと思えば、またぞろ新規感染者の増加で大阪、兵庫、宮城には「まん延防止等重点措置」という、効果が期待できそうも無い自粛要請措置が発出される始末。とにかく外出もままならず、コロナ籠りの日々が続く。家庭的な作者は台所に立つ機会が増えたと推察される。台所仕事の一コマから、「いまどき」の暮らしが垣間見えて来る。 (迷 21.04.02.)

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ランチ待つ鳩の行列春の屋根    斉山 満智

ランチ待つ鳩の行列春の屋根    斉山 満智 『この一句』  よく観察しているなあ、それをまた、こうしてよく句にしたなあと思う。  駅や公園には「鳩に餌をやらないでください」という張り紙があるのをよく見る。土鳩(ドバト、イエバト)という野生のハトが寺社や公園、駅舎や人家の周辺にはたくさんいる。繁殖力が旺盛で、餌があるところではむやみに増える。 太平洋戦争末期から敗戦後数年間は、餌が無くなり、また片端から捕まえられて焼鳥にされてしまったので、東京はじめ大都市では激減した。小学生だった水牛も苦心して捕まえては食べた。少し臭い肉なので、味噌と塩を摺り込んで、当時は冷蔵庫が無かったから蠅帳に入れて翌日焼くと、とても旨かった。しかし、ハトはよちよち歩いてるようで、いざ捕まえようとすると難しい。いろんな仕掛けに苦心したのも今となっては懐かしい。 増えすぎて迷惑がられる存在になっているが、鳩に罪は無い。此の世に生を受けたれば必死に餌を求め、力を蓄え、子孫を残す努めを果たさねばならぬ。 親切で優しいおばあさんが毎日お昼になると残りご飯や餌を庭に撒いてくれる。それを待ちかねた鳩が屋根の棟瓦に一列に並んでじっと待っている。うらうらとした陽射しに世は事も無しである。 (水21.04.01.) 

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