【番外】ヺブラダ句の「受け月」について

【番外】ヺブラダ句の「受け月」について  3月7日付けの本欄で髙橋ヺブラダ氏の「受け月」についてのコメントを載せた。これに対して而云氏から以下のような「問い合わせ」が届いた。  「・・・『受け月』は知りませんでした。広辞苑、平凡社の大辞典には出ておりません。天文用語なのでしょうか。ネットでは『上弦の月』と説明しておりますが、(水)さんの解説を読み「それでいいのかな?」とも思っています。そのあたりの説明を頂ければ、と思います。而云」  なるほど、まことに言葉足らずと言うか、書き方がまずかったと反省している。誤解を招いたのは特に以下の記述のようだ。  「・・・満月が過ぎると月の出がだんだん遅くなり、それと共に右側が欠け始め、下弦の月になる。それが夜も更けてから現れ、夜明けに西の空に盃のように浮かんで、やがて日の出と共に見えなくなる。春であれば、まさにこの句のように「春に溶け込む」感じがするであろう。・・・」  下弦は「満月から新月に至る半月間」を言い、その中間に当たる月齢22,23日(旧暦22,23日)には右半分が欠けた形で真夜中に南中する。やや右に傾いた形で、弓の弦が下向きかげんなので「下弦の月」とか「しもつゆみはり」と呼ばれた。そして毎晩右側が削られて行き、月の出が遅くなり、月齢27,28日(今年で言えば3月10,11日)になると、もう夜明け間近にごく細くうすぼんやりとした受け月になって「月の入→日の出」となる。そして3月13日は新月で、翌日から右下隅からうっすらと、日の入り直後に現…

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朝まだき受け月春に溶け込みぬ 髙橋ヺブラダ

朝まだき受け月春に溶け込みぬ 髙橋ヺブラダ 『おかめはちもく』  「朝まだき」は夜の明けきらない早朝を言う。「まだき」は「未だき」で、「そうならないうち」という意味だ。「愛しいお方が朝まだきに帰って行かれる・・」というように、「早くも」「もう・・」といった意味合いで使われる。源氏物語や伊勢物語などにも出て来るし、古歌にも盛んに用いられている優雅な言葉だ。この句も、そうしたロマンチックな情趣をたたえたなかなかの句である。  「受け月」というのは曖昧な言葉で、上弦でも下弦でも、あるいは三日月でも、時間を問わなければ受け月になることはしょっちゅうである。ただここでは「朝まだきの受け月」ということだから、昔からの言葉で言えば「有明の月」ということになろう。満月が過ぎると月の出がだんだん遅くなり、それと共に右側が欠け始め、下弦の月になる。それが夜も更けてから現れ、夜明けに西の空に盃のように浮かんで、やがて日の出と共に見えなくなる。春であれば、まさにこの句のように「春に溶け込む」感じがするであろう。「春はあけぼのやうやう白くなりゆく山際すこし明かりて・・」(「枕草子」冒頭)の頃合いである。明日八日あたりから十一日頃まで明け方五時過ぎには、この句のような受け月が見られるかも知れない。  とても感じの良い句だが、上五に「朝まだき」と置いたためにやや平板になっているのではなかろうか。「受け月の春に溶け込む朝まだき」とした方が、春の夜明けの情趣が深まるような気がするのだが・・。語順によって句の印象はが…

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