鎌鼬賑い消えたシャッター街 野田 冷峰
鎌鼬賑い消えたシャッター街 野田 冷峰
『この一句』
商店が売れ行き不振、後継者不在などで閉店し、シャッターを下ろしたままになる。そういう店が続々現れて商店街が寂れてしまう。これを称して「シャッター通り」「シャッター街」。この言葉が言われ始めたのは1980年代末のことで、爾来30年、寂しい町は寂しいままである。
高度成長期からバブル経済の時期、「メイドインジャパン」が世界市場を席巻し、日本国と日本人は大いに自信を持ち、それが行き過ぎて「もう欧米諸国に学ぶべきところは無い」などと思い上がった。国内では土地の値段が際限もなく上がって、それを担保に借りた資金で新たな土地買収にかかるといった狂乱事態になった。一方、モータリゼーションの急激な発達で、人々の行動範囲が一挙に広がった。国鉄駅前周辺の地価の急騰を嫌って、郊外に大規模ショッピングセンターが誕生し、人々は一斉にそちらに車を駆り、老舗商店街の空洞化をもたらした。そして91年のバブル崩壊、長期低迷へと落ち込んで行った。そして「シャッター街」は珍しくもなんともない、全国の中核都市に普遍的な光景となった。
だが問題は、寂れたシャッター街の住人が別に暮らしに困っていないことである。商店経営者はそれぞれバブル期になにがしかの蓄えをこしらえており、それに加えて年金がある。商売はしてないから所得税はゼロ。シャッターを下ろしたままで十分暮らしていけるのだ。かくてシャッター街はいつまでも残り、幽霊街となる。そこを鎌鼬が疾駆する。
(水 21.0…