七福神巡り終へての一人鍋    大澤 水牛

七福神巡り終へての一人鍋    大澤 水牛 『季のことば』  コロナ禍の七福神吟行とあって、感染防止に意を払ったのは当然のこと。七日までの福詣行事が終わったせいか、昼下がりの亀戸七福神はひっそりとしていた。われわれ一行十人のみという社寺も少なくなかった。やや人出があったのはスポーツ振興の香取神社だけ。番外で寄った亀戸天神こそさすがに入試の時節柄、神頼みの人が見られたが。われら吟行一行十人、しずしずと七福神参りを終えた。 いつもの年ならこの後、打ち上げと新年会を兼ねて小宴を張るのだが、今年は感染爆発状況を慮って取り止めに。なんとなく物足りなく感じる人が何人かいたのは仕方ない。  亀戸は昔から浅利と大根の料理が有名だという。「梅屋敷」の傍には名代の店もあるが、本日休業。このまま帰るのはしのびないと、一人で居酒屋に足を止めたのが作者と推察する。鍋といっても「一人鍋」の措辞にペーソスがただよう。「小鍋立て」という池波正太郎の小説によく出てくる小道具を思い浮かべる。湯豆腐や葱鮪か、鱈や牡蠣か、一人で猪口を手に小鍋をつつきながら、今年の福詣が無事終わったことをしみじみ振り返っている。「鍋」の一文字だけで冬の情緒が匂い立つ。湯気で曇る居酒屋のアクリル板まで見えるような。 (葉 21.01.30.)

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初詣葛餅分け合う老夫婦     野田 冷峰

初詣葛餅分け合う老夫婦     野田 冷峰 『季のことば』  新春にふさわしい、ほのぼのとさせられる一句である。令和三年一月九日、亀戸七福神をめぐり終えると名物の葛餅屋。そこで目にとめた情景を一句に仕立てた。「老夫婦の幸せそうな景が眼にうかびます。私もこんな夫婦にあやかりたいです」(春陽子)という評には同感である。表現には何の作為も凝らさず、見た景をすっと言い留めた素直な作り方。そこがいい。  しかし、である。この時点で東京には新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が発令されていた。「高齢者は重症化しやすい」ことは先刻承知で、「外出するな」「ステイホーム」などと叫ぶ声をよそに、天神様に無病息災などを祈願し、葛餅を分け合っている老夫婦に、仲睦まじさとともに歳月に磨かれた生活の知恵を感じる。 「葛餅は夏の季語。季語が二つあるのは…」と難癖をつける人がいるかも知れない。しかし、どうみても「初詣」が主で、動かない。逆に言えば「葛餅」は年中あるものだ。芭蕉によく似た句があった。「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」である。「梅」も「若菜」も春(現在「若菜」は新年)で「とろろ汁」は秋だが、季節は明白だろう。 (光 21.01.29.)

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福詣終えて見上げるタワーに灯  岩田 三代

福詣終えて見上げるタワーに灯  岩田 三代 『この一句』  亀戸七福神吟行の最高点句である。したがって、この「タワー」は「東京タワー」ではなく、「スカイツリー」である。吟行句のありがたさで、誰もこのタワーを東京タワーのことだと読み違える人はいない。よくよく考えればスカイツリーも間違いなくタワーである。  この句は、その「タワーに灯」という表現がなんともいえぬ詩情を感じさせてくれる。吟行を終えてホッとしたのか、あるいはああ疲れたなあと思ったのか、いずれにしても作者はタワーの灯に間違いなく癒されたのだろう。俳句という短詩のなせるところ、それ以上の感懐は読者の想像にゆだねられる。  筆者はこの句を読んで、先のオリンピックの頃に流行った「東京の灯よいつまでも」という歌謡曲を思い出した。すなわち「タワーの灯」が、「東京の灯」にかぶるのである。大阪の鼻垂れ坊主だった筆者は、この歌を聴いて、いつか一度は東京に行ってみたいものだと憧れていた。まさか、こんなに長く関東に暮らすとは夢にも思わなかった。  建てているときには、正直言って「今更、こんなもんいるのか?」と思っていたが、今となってはスカイツリーのない墨東の景色はない、と思うほど馴染みある光景になってしまった。見上げるたびに「思えば遠くに来たもんだ」と思ってしまう。 (可 21.01.28.)

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梅の香を愛でて渡るや太鼓橋   岡田 鷹洋

梅の香を愛でて渡るや太鼓橋   岡田 鷹洋 『この一句』 亀戸七福神吟行を巡り終えて、「番外」としてお参りした亀戸天神での詠である。一月九日という中途半端な日取りだったから、七福神の社寺は閑散としていたが、ここ亀戸天神はさすがにかなりの参詣人を集めていた。「共通テスト」の直前ということもあったのだろう、社前の絵馬掛けには「○○大学に受かりますように」といった、こりゃ気の毒だが無理だろうなと思われるような稚拙な字の絵馬がこれでもかとばかりに掲げられていた。  参道から大鳥居を潜って、社殿へ向かうに当って上り下る太鼓橋。我々一行はこの辺の地理に明るい名幹事に率いられ、裏路地伝いに天神さまの境内に潜り込んだ。「これぞまさに裏口入学」などとダジャレ名人がつぶやいた。 というわけでお参りしてから表参道目指して太鼓橋を渡ったのだが、欄干際に枝差し延べる梅の老樹。なんと、梅が花開いていた。寒の入りからまだ四日、「寒四郎」である。さすが天神さまの梅だなあと感心し、次々にマスクを外して香りをかぐ。「うん、いい香りだ」「そうか、匂うか、それならコロナは大丈夫だな」なんて言い合っている。この句はそんなおふざけは問題にしない、格調高い作品である。 (水 21.01.27.)

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マスク取り香りをかぐや寒の梅   田中 白山

マスク取り香りをかぐや寒の梅   田中 白山 『季のことば』  句を見て「その通りですね」と頷いた。梅は放っておくと相当な大木になるが、庭木として鑑賞の対象とする場合、低く刈り込むことが多い。これが桜と大いに違うところで、梅は目の前で花を見ることが出来るし、顔を近づけて香りを嗅ぐことも可能だ。梅の花を目の前に、少し背を丸め、顔を前に突き出している作者の姿が目に浮かんで来る。  そして「マスク取り」が本年の特別重要事項である。毎年、同じようなことが繰り返されているはずだが、今年は時事句になってしまう。梅見の誰もがマスクをしているはずだ。そしてマスクを少し下へずらし、鼻の先を出して香りを嗅ぐ。マスクを元に戻した作者は「来年はマスクなしにしたい」と考えているのではないだろうか。  さて、この梅の花は白か紅か? 確か「香るのは白梅」だったと思い、ネットで確かめたところ、やはりその通りのようだ。赤もピンクもいいが、やはり梅の花は、特に寒中は白が似合う。この原稿を書くために作者に句の場所を問い合わせて、返事を頂いた。「亀戸天満宮の太鼓橋の白梅です」。ああ、あの太鼓橋、と風景が浮かんで来た。 (恂 21.01.26.)

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天神の裏路地梅のはや三分   玉田 春陽子

天神の裏路地梅のはや三分   玉田 春陽子 『この一句』  天神とは菅原道真を祀った天満宮のこと。道真は左遷された太宰府で恨みを抱いて没し、怨霊となって祟りをもたらして恐れられた。その魂を鎮めるため所縁の地に天満宮が設けられたのが始まりとされる。全国に1万2千社あり、今は学問の神様として崇敬を集めている。 最も創建の古い山口・防府(904年)と墓所のある太宰府(919年)、朝廷のある京都・北野(947年)が日本三大天満宮とされ、いずれも梅の名所として名高い。飛梅の故事で知られるように梅を愛した道真にちなみ、どこの天満宮にも梅が植えられ、春先は合格祈願の受験生でにぎわう。 掲句は1月初旬の亀戸七福神詣の吟行句である。亀戸天満宮は関東三天神のひとつで、太宰府から分霊を受けて創建され、「東宰府天満宮」とも呼ばれる。作者は境内の梅園ではなく裏路地で見つけた梅を詠む。神社の梅が塀越しに見えたとも考えられるが、ここは路地にある民家の庭の梅と解したい。「天神の裏路地」には、意外な場所で見つけた驚きが感じられる。しかも寒の入り直後なのに花を咲かせている。「はや三分」には、春に先駆けて咲く梅の健気さを愛でる気持ちがにじむ。道真の時代から千百年を経ても、梅に寄せる日本人の心情は変わらないようだ。 (迷 21.01.25.)

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水かぶる恵比寿大黒寒の行    徳永 木葉

水かぶる恵比寿大黒寒の行    徳永 木葉 『合評会から』(亀戸七福神吟行)   鷹洋 水をかけているうちに、こちらが寒くなりました。実景・実感あり。 方円 参拝者はお水をかけてお祈りしていますが、寒い時期ですから神様にはこれはこれで修業なのかもしれない。 春陽子 恵比寿さまも大黒さまも思い切り水を被っていました、それを「寒の行」と捉えた作者に拍手の一票です。 三代 私も水をかけましたが寒の行なんて発想はわかず。さすがです。 *       *       *  恵比寿・大黒の神像に水を掛けるというのを初めて見た。お地蔵さんに水をかけるのはあちこちにある。自分の身体の痛むところと同じ部位に水を掛けて祈ると平癒するという俗信から出た風習である。江戸時代から盛んになった風習らしい。  亀戸七福神の香取神社は元々は戦の神様で、明治から昭和時代前半まで「戦勝祈願」で大繁盛した。ところが太平洋戦争で目も当てられない敗戦となり、この神社もしばらくは閑古鳥が鳴いたが、やがて「スポーツの神様」として復権した。「闘いに勝つ」守り神というわけである。そのついでと言ってはなんだが、七福神詣の信者も呼びこむ「水掛恵比寿大黒」もしつらえた。本殿をしのぐ人気でお参りの人が列をなす。マーケティングの達人でもあるようだ。 (水 21.01.24.)

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福詣スカイツリーも見え隠れ   植村 方円

福詣スカイツリーも見え隠れ   植村 方円 『合評会から』(亀戸七福神吟行) 青水 東京の空にすっかりなじんだ天空樹の地元での福参り。一日中、富士にも似た巨大なスカイツリーに見守られていたという実感があります。 三代 確かに時々スカイツリーを見ながらの吟行でした。素直でいいと思います。 光迷 大通りや川の向こうに、あるいは神社の社殿越しに顔を出すスカイツリーを仰ぎ、路地を辿りつつの、吟行の楽しさが思われます。           *       *       *  亀戸七福神めぐりは、江戸切子の店を覗き、浮世絵の舞台になった地を偲び、また下町情緒にひたりつつ昭和レトロな感じの店を横目に…という道筋になる。名物の亀戸大根や浅蜊鍋などについて談笑しつつ歩を進めると、時折りひょっこりと顔を覗かせる現代的な構造物がスカイツリーだ。  そのスカイツリー、出発時は青空に威風堂々だったが、巡り終えた頃合いには灯がともる中に…という経験を下見のときにした。ツリーの足元を半日ちょこまかと歩き回っていた思いに駆られ「スカイツリーと隠れん坊」なる中七下五を書き留めた。方円さんの句を見て、そのことを思い出した。 (光 21.01.23.)

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御仏の右ほほ染める寒あかね   金田 青水

御仏の右ほほ染める寒あかね   金田 青水 『この一句』  景を詠むにあたり、あれこれ詰め込んだり、漠然と描写するのではなく焦点を絞ることが大切、とは俳句の入門書のよく説くところ。この句がまさにその好例だ。仏像に冬の夕日が差している景を詠んだのだが、「右のほほ」に焦点を絞ったことで臨場感が増した。多分、寒茜は仏像の右側全体を照らしていると思われるが、作者には殊のほか右頬の茜色が印象深かったのだろう。その気持ちを素直に描写して好感が持てる句である。  作者は普段、散歩を兼ねた一人吟行でスケッチの腕を磨いている。この句も七福神詣での吟行詠だという。筆者は参加しなかったが、亀戸七福神のスタート地点、寿老人を祀る常光寺には石造りの阿弥陀如来像が鎮座している。写真を見ると、大きくて立派な座像だ。掲句の御仏はこのことと思われるが、聞くところによると、この寺を訪れたのは昼下がり、まだ空が茜に染まる前だ。おかしい。写生を得意とする作者に似合わぬ想像の一句だろうか。  実は作者は、吟行への参加が決まれば、よほど遠方ではない限り一人で下見をしていると聞く。今回も亀戸に数回足を運んだという。ということは、当日の景色ではなく、下見の折りの夕景色だったのだろうか。ともあれ、句作に真摯に向き合う姿勢には頭が下がる思いだ。 (双 21.01.22.)

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寒空に薄着の坐像阿弥陀佛    田中 白山

寒空に薄着の坐像阿弥陀佛    田中 白山 『この一句』  正月恒例・七福神詣の最初は寿老人を祀る常光寺。しかしこの句の作者は七福神より先に、本堂左側の露座の阿弥陀如来を見つめた。薄い衣をまとった座像はいかにも寒そうであった。しかもこの時期、参拝客は少なく、仏像に目を向けてくれる人さえ少ない。作者は阿弥陀様に心の中で「我慢の季節ですね」と声を掛けたのだ。  仏像はおおよそインドの方面の生まれだから、基本的に薄着である。両肩をむき出しにし、薄物をさらりと着流したようなスタイルが多い。本来の御在地は西方浄土なのだが、アジアの東端にまで来られ、衆生を救って下さる。日本人にお馴染みの存在になっても薄着主義は変わらず、参拝する人々にやさしい眼差しを向けておられるのだ。  作者は七福神吟行の常連である。これまで恵比寿、大黒、弁財天などの本命ばかりを詠んできたので「今回は発想を転換、他の仏様、神様なども・・・」と視点を変えてみたそうだ。コロナ禍もあって吟行を欠場した私(筆者)は「なるほど、そういう句材もあったか」と大いに感心した。「来年は七福神吟行へ」と心のネジを巻き替えている。 (恂 21.01.21.)

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