冬初め温もりのある寒さかな 山口斗詩子
冬初め温もりのある寒さかな 山口斗詩子
『季のことば』
季節感を詠むのが俳句ではあるが、この句は修飾物のすべてを投げ捨て、初冬の季節感そのものだけを句に仕立てた。それも最初に「冬初め」、最後に「寒さ」という季語を置いた。さらに真ん中の「温もり」を「ぬくし(春)」と考えれば、一句がすべて季語で成り立つという、とても珍しい句になってしまう。
しかし私は句を見た時、「初冬の頃のこういう感じ、確かにあるなぁ」と共感した。立冬を過ぎて間もなく、薄日のさすような日ではないだろうか。この微妙さは、急いで家を出た、というような状況では感じることが出来ない。例えば薄曇りの日、散歩に出て、誰もいない公園の中でふと感じたのだ、と私は勝手に想像した。
「皿を踏む鼠の音の寒さかな」(蕪村)。「くれなゐの色を見てゐる寒さかな」(星野立子)--。さまざまな寒さがあるが、初冬の微妙な寒さと温もりに絞って詠んだ句は非常に珍しい。それだけに、句のすべてが「寒さかな」に向かって行くような詠み方をして欲しかった。即ち上五は「初冬の」としたい、と私は思っている。
(恂 20.11.29.)