老の背の膨らんでゐる冬初め   今泉 而云

老の背の膨らんでゐる冬初め   今泉 而云 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 これは何かを着ているというよりは、ただ単に老人の猫背なんじゃないかと(笑)。いずれにしても「冬初め」とよく合いますね。 白山 始めはこの句、素通りしたのですが、再度読み直してみると、「これって俺の事詠まれているのじゃないか」と。よく女房に「背中丸くなってる」と言われるのです(笑)。猫背でしょう。 的中 たくさん着こんで、背中が膨らんでいる老いた相方を見て詠んだ句でしょうか?歳とともに首から肩甲骨にかけて丸くなる景は実感です。冬の情景が伝わる句だと思います。 二堂 老いを「背が膨らんだ」と捉えた点が素晴らしい。 *       *       *  作者によると近所の碁会所の光景とのこと。頭を下げ盤面を見つめれば背が丸くなるのは当然だが、年寄りはもこもこしたチョッキみたいな物を着ているからますますこうなる。  「冬初め」でこうだから、寒中ともなればさしづめダルマさんの集団と化すのだろう。しかし、着膨れても碁会所に一人で行けて碁が打てるうちはまだまだ大丈夫。 (水 20.11.18.)

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居眠りを誘ふ写経や障子の間   谷川 水馬

居眠りを誘ふ写経や障子の間   谷川 水馬 『この一句』  一読して頭に浮かんだのは、時は晩秋か初冬、所は京都や鎌倉の古刹の一室、写し取っているのは多分、般若心経で、華厳経などではあるまい、ということだった。  ポカポカした小春日、静けさに包まれた場所に身を置き、ほっと一息となれば眠気も催すだろう。読経を耳にうつらうつらした覚えもあるだけに、この情景には合点が行った。  それにしても兼題の「障子」に「写経」を取り合わせた技には、意表を突かれた。きっと体験によるものだろう。障子の薄ぼんやりとした明るさには、心地よい眠りを誘うものがある。ただ「鏡の間」はあるものの、「障子の間」という言い方はしないのではないか。句意から推し量ると「白障子」あたりが適当ではないか。  ところで、風や寒さを防ぎ、光は採ろうという障子が出現したのは平安時代末期だとか。平清盛が安徳天皇に指で穴を開けさせたという話も残っている。とはいえ、庶民の暮らしに入って来たのは江戸も中期だった。現在は生活の洋風化を受けてカーテンやブラインドが全盛、一般住宅に障子は少なくなっている。畳も襖もまた…。 (光 20.11.17.)

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ぐい呑みを厚手に替えて秋深し  植村 博明

ぐい呑みを厚手に替えて秋深し  植村 博明 『合評会から』(日経俳句会) ゆり 冷えてくると日本酒が美味しくなる。猪口を厚手のものにして燗酒を飲むのでしょうか。 光迷 厚手のぐい呑みはそれなりの大きさです。ぬる燗、熱燗をゆっくり口に運ぶ季節。 而云 俳句として整っている、酒飲みの句で、美味いんだろうね。 実千代 手に触れる感覚を通して、秋の空気の冷たさが伝わります。 反平 熱燗、美味そうだなあ。つまみはじゃこに醤油ひとたらしでも十分。 操 変わり行く季節の深まりを感じる。 百子 お酒を愛する人のこだわりなのでしょう。 昌魚 酒器の衣更えとはいいですね。そろそろ熱燗でしょうか。           *       *       *  秋が深まると酒好きは日本酒が恋しくなる。旬の具材で鍋など仕立てて、温めた酒を大ぶりのぐい吞みで味わう。夏場は切子のグラスで冷酒を楽しんだりしたが、燗酒には厚手のどっしりとした志野や萩焼が合う。「厚手に替えて」という巧みな措辞から、季節の変化とそれを楽しむ酒好きの心情が伝わる。合評会の句評はいずれもその心情に反応し、自らの思いを重ねている。日経俳句会の10月例会で最高点を得たのも納得である。 (迷 20.11.16.)

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始祖鳥の夢切れ切れに夜寒かな  中嶋 阿猿

始祖鳥の夢切れ切れに夜寒かな  中嶋 阿猿 『合評会から』(日経俳句会) ゆり 意味が分からないのですが、雰囲気がある。「始祖鳥」と下五の「夜寒かな」が思いもよらず付いている。 迷哲 かけ離れている二物衝撃。「夜寒」とどっか合っている不思議な句です。どこがいいと言われても、フィーリングが合ったということ。 水牛 チンプンカンプンだった(笑)。面白いこと詠むな。始祖鳥のすがれた羽が「夜寒」と合っていないこともない。突拍子もない所に感心した。 ヲブラダ 取り合わせが面白すぎるので多分実体験なのでしょう。始祖鳥のいたころは、地球は今より暖かったなどという理屈が無意味なところが夢だ。           *       *      *  採った人たちの選評からも、皆々、夜寒に始祖鳥の夢を見たという体験談(?)に拍手喝采したことが分かる。こういうのは頭で拵えたものではなく、ヲブラダさんが言うように“実体験”によるものであろう。こうした奇矯な句を計算づくで作ろうとすると、必ず「わざとらしさ」が浮き上がってしまうものだ。 芭蕉高弟の其角にはこの類の句が多いが、それ等にも其角の直観から生まれたものと、こねくり回した末の句とがあるようで、無論一瞬のひらめきの下に出来た句には難解ながらも読者の琴線に響くものがある。掲句にも同じことが言える。「面白い」と思わせればそれで大成功なのである。 (水 20.11.15.)

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金の砂撒いて木犀香を失せり   徳永 木葉

金の砂撒いて木犀香を失せり   徳永 木葉 《合評会から》(日経俳句会) 雀九 実際に最近見ました。こないだの雨で一斉に落ちていた。ものすごい。 早苗 「金の砂」という表現が素晴らしいと思いました。木犀の木を主語にしている点も面白いです。 阿猿 金木犀の花は一斉に咲いて強い香をふりまいたかと思ったら、一斉に散ってしまう。数日前の雨のあとまさにこのような光景を見た。「金の砂」が上手い。        *       *       *   今年は、金木犀の当たり年ではないか、と句会出席者の口々から聞いた。確かに、あちこちの金木犀から濃厚な香りが、例年より漂っていた気がする。花が咲き誇っていたちょうどその頃、関東地方は無情の雨に見舞われた。雨上がりに近所を歩いていると、住宅街のそこここに雨に打たれた黄金色の花が路上に散り敷かれていた。  その状態を、「金の砂を撒いて」と表現した作者の美意識。さらに、その金の砂はもはや香りを失っているのだ、と鋭い感性で畳み掛ける。「金の砂」の見立て、「香を失せり」の発見。作者の深い観察眼が遺憾なく発揮された素敵な一句だ。 (双 20.11.13.)

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冷まじや剣を植えし城の跡    中村 迷哲

冷まじや剣を植えし城の跡    中村 迷哲 『この一句』  句を見た瞬間、歌曲「荒城の月」二番の「植うる剣(つるぎ)に~」が浮かんで来た。「秋陣営の霜の色 鳴き行く雁の数見せて」の後に続く歌詞である。この曲を初めて聴いた中学生の頃、「どういう場面なのか」としばらく考え、やがて浮かんで来た。武将(城主か)が軍勢を前に剣を地面に突き立てて、最後の決戦への覚悟を語る、という状況である。  しかし違うかも知れない、と今回、調べ直したところ、やはり違っていた。落城近し、ではあるらしいが、押し寄せて来るはずの敵に刃を向け、城内に刀をぐるりと植えておく、という説明を読んだ。この場合は刀の先端ではなく、柄の方を植えることになる。なるほど、と頷いたが、敵方が長刀で一薙ぎすれば刀は一度に倒れそうだ、とも思った。  土井晩翠は、瀧廉太郎は、どういう場面を思い描いて、この詩や曲を作ったのだろうか。ともかくこの句によって懐かしのメロディが浮かんで来て消えず、もはや句を選ぶほかはない。選句表の句の上に◎をつけた後に考えた。「冷まじ」は難解季語に類するが、掲句は季語の本意をしっかりと捉えている。それで私はこの句を選んだのだ、と納得した。 (恂 20.11.12.)

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初冬や浅間ひろびろ天も地も   堤 てる夫

初冬や浅間ひろびろ天も地も   堤 てる夫 『この一句』  浅間山は美しく雄大な山である。私事ながら、長く携わった仕事の主力工場が佐久にあり、またよく利用した研修所が浅間山の麓にあり、出張するたびに何度もお目にかかった山である。  まだ新幹線のない頃、軽井沢を過ぎたあたりから、車窓に浅間山を眺めながら、横川駅で買い込んだ峠の釜飯を楽しんだのを思い出す。空が晴れて、お山が綺麗に見えた時は、なんとなく仕事もうまくいきそうな予感がしたものである。研修所では、レポートがうまく書けず外に出た時、夕焼けに染まる浅間山を見て、レポートなんかどっちでも良い、と急に気が大きくなったのも思い出す。  この句は、そんな浅間山の初冬の清々しさを気持ちよく詠んだ句である。「初冬」だから、すでに山頂には冠雪が見えている。空はおそらく真っ青に澄んでいるのだろう。その空を背景に、美しい稜線が麓までくっきりと見えている。地上の樹木はすでに葉を落としていて、その分だけ天も地もひろびろとして見える。  「天も地も」という措辞が余計ではないかという評があった。なるほど俳句の仕上がりとしてはその通りかなという気がする。しかしながら、蛇足とは思いつつも「天も地も」と思わず詠まざるを得なかった作者と、その感動を共にしたいと思った。また、浅間山が見たくなった。 (可 20.11.11.)

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従わぬ者みな斬ると冷まじき   杉山 三薬

従わぬ者みな斬ると冷まじき   杉山 三薬 『この一句』(日経俳句会)  長期政権記録の安倍政権を継いだ菅義偉氏には「強権」のイメージがある。官房長官として中央省庁各部をまとめ、引っ張った実行力。政権の方針に異議をとなえる官僚に遠慮しないといった強面の側面。首相になってすぐに表面化した日本学術会議の委員人事問題の対応には「剛腕」というより「強権」の印象を受ける。掲句は「冷まじき新首相」を詠んだ時事句である。  水牛歳時記の「冷まじ」には、「物凄い」「見るも無残」といった現代風の詠み方も盛っている。しかしこの句会で「すさまじや首領になる人かつぐ人」(光迷)、「すさまじや首相官邸鉄の壁」(てる夫)、「冷まじやコロナ軽視の大統領」(百子)といった時事句には点が入らなかった。「冷まじき」新首相の句には二点入ったが、「それ以上」にならなかった。時事句だったからだろうか。  時事句と川柳の違いを考える。川柳は時流を鋭く風刺する。俳句は人の心や自然の営みから受ける感慨を物に託して詠み、そこから時流に対する作者の心の動きをほのかに示す。ここが真っ正面から時流を斬る川柳との違いであろう。しかし掲句が時事句であって詩情のかけらもないと言って排除するのは当たらない。  個人的には、時の流れや、生きとし生けるものを題材に句作するのを好む。それが結果的に川柳に近いものになったとしても構わない。それは即ち自分の生きてきた世界の記録であり、残しておきたいと思うからである。 (て 20.11.10.)

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目鼻口つけて南瓜の大笑ひ    髙石 昌魚

目鼻口つけて南瓜の大笑ひ    髙石 昌魚 『この一句』  句を読んだとたんに、オレンジ色のハロウィーンの南瓜の顔が浮かんだ。欧米では10月末のハロウィーンには、南瓜をくり抜き中にロウソクを灯して玄関に飾る。本来は悪霊を追い払う魔除けのランタンというが、お化けが大笑いしているように見える。目鼻口を付けたら南瓜が人格を持ち、笑い出したと想像できる愉快な句だ。  南瓜はどこか愛嬌のある野菜だ。放っておいても育ち、畑にごろごろ転がって実が生る。デコボコした丸い顔立ちで台所や納屋の隅に鎮座している。戦国期にポルトガルから伝来したといわれ、荒地でも実り、保存が利く上に栄養価も高い。江戸時代や戦後の食料難の時など、庶民の食卓を助けてきた。見た目は地味だが、甘くほくほくした実は、煮ても揚げても美味しく、スープやケーキにしても味わい深い。  そんな南瓜が祭りの主役となるハロウィーン。今や仮装イベントと化した日本では、実物はもちろん、南瓜のレプリカやシールが街中に溢れる。今年はコロナ騒動で例年のような混雑は回避されたが、代わりに仮想空間でのハロウィーンが盛り上がった。商業主義に踊らされる晩秋の狂騒を、南瓜は笑い飛ばしているのであろう。 (迷 20.11.09.)

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老い二人空気となりて秋深し    高井 百子

老い二人空気となりて秋深し    高井 百子 『季のことば』  「秋深し」という季語はそれだけでもうしんみりとしてしまうフレーズだから、却って句にしにくいところがある。「秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉」を筆頭に「彼一語我一語秋深みかも 虚子」「秋深しふき井に動く星の数 露伴」など良い句もあるのだが、歳時記に列挙されている大家の「秋深し」句に感銘を受けるものが意外に少ない。どうも季語に負けてしまっているようなのだ。  この句は「もうお互い空気のような存在ですよ」という、老夫婦の暮らしぶりを表す言葉として、しばしば耳にする文句をそのまま用いている。だから、「御座なり」という酷評を下す人も居るかも知れない。もしかしたら類句があるかも知れない。  しかし私は選句表にこの句を見つけた時、「いいなあ、秋深しと響き合っているなあ」としみじみ感じ入った。「老い二人空気となりて」と、すっと言われると、清清しく暮らしている老夫婦だけの静かな景色が浮かび上がって来る。冷えまさる午後に、熱くて香りの良い焙じ茶を啜っている情景を思い浮かべてもいい。お互いあまり喋ることも無いのだが、言葉など交わさなくても全然問題は無い。 (水 20.11.08.)

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