豊島園閉ぢて寂寞後の月 山口 斗詩子
豊島園閉ぢて寂寞後の月 山口 斗詩子
『合評会から』(番町喜楽会)
冷峰 幼稚園の卒園旅行に始まって、豊島園には何度も行きました。豊島氏の支城跡です。
てる夫 豊島園の近くに転勤者住宅があって、そこに住んでいる頃行ったことがあります。ディズニーランドに比べるとアナログですが、慣れ親しんだ方には寂しいことだろうと同情します。
明古 今は静かな豊島園を後の月が照らす。いかにも寂しい景で、「寂寞」が必要かわかりません。
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東京都民に親しまれた遊園地「としまえん」が閉園し、94年の歴史に幕を閉じたニュースはこの夏、大きな話題を呼んだ。新聞やテレビで大きく報道され、8月末の閉園日までは大勢が詰めかけて、名残を惜しんだ。
掲句は閉園後の豊島園を後の月と取り合わせて詠む。通い慣れ、思い出のある施設が閉じると聞くと、それだけで寂しく惜しむ気持ちが湧く。まして去り行く秋を象徴する「後の月」のイメージが重なると、寂しさはさらに募る。「豊島園閉じて後の月」で完結しているようにも思える。
作者に聞くと、幼いころ目白で育ち、遠足などで良く行ったという。結婚後は子供と一緒に遊び、練馬に住んだ後半生は夫婦で桜を愛でた場所でもある。閉園を悲しみ、惜しむ気持ちは、ひと一倍であろう。言い尽くせぬ思いを「寂寞」の言葉に込めたのではなかろうか。
(迷 20.10.27.)