遠き山遠き思ひ出秋の草 山口 斗詩子
遠き山遠き思ひ出秋の草 山口 斗詩子
『この一句』
日本人の心の底にある「もののあはれ」を最も強く触発するのは、秋の風物であろう。もう一歩進めて、「生あるものは必ず滅す」という死生観に思いを致すのも秋である。そして、名もなき秋草の短い一生にそれを端的に感じる。夏の間、猛々しいほど繁っていた草が穂を出し、花咲かせ、静かに色づき、やがて実をつけ、枯れてゆく。これを眺めつつ、人は物思いに耽る。
この句はまさにそれを詠んでいる。たぶん西の方向の遠山であろう。陽が傾き、山肌は逆光となって黒くなり始めている。中景の薄野や灌木の茂みは夕日を浴びて輝いている。そして近景の秋草は色づき、枯れ色を見せ始めたものもある。作者は山荘か茶屋のテラスなど、ちょっと高い所からそうした秋景色を眺めるともなく眺めている。
思い出が次から次に甦って来る。遥か昔の事が突然湧き上がってきたかと思えば、つい数年前の思い出につながったりする。思い出というものは、昔の事から近過去の事が時系列で順序良く出て来るものではない。あっちへ飛び、こっちへ飛ぶ。脈絡も無く、取り止めも無いようだが、どこかで繋がっている。何だか一人で連句を巻いているみたい、とおかしくなったりもする。
(水 20.10.07.)