デイケアの老女の無言蛇穴に 大澤 水牛
デイケアの老女の無言蛇穴に 大澤 水牛
『合評会から』(酔吟会)
可升 なんと重い句だろうか。なぜ老女は無言なのか、なんとなくわかる気がしてわからない。「蛇穴に」は老女の比喩だろうか、それとも取合せだろうか?それもわからない。わからないけれども、この句の気分はうっすらわかる。明日は我が身と思って読みました。
而云 老女の無言が季語「蛇穴に」と響き合う。
冷峰 幼稚園の送迎バスのように毎日五、六台のバスが競って老人を迎えにきます。老人はおしなべて無口です。
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近所に住むデイケアの老人は、迎えの車に乗るとき憮然とした表情をしている。本意ではないが、家族の負担をさけるために行くのだという雰囲気がうかがえる。「無言」の一語でその微妙な状況を表現しているとともに、「蛇穴に入る」のは車のドアをくぐる老女自身であると言っているようだ。常日頃この光景を見ている筆者は、いつか句にできないかと思っていた。作者は「蛇穴に入る」の季語を巧みに取り込んで、高齢化社会の一種やるせなさを詠んだ。「明日は我が身」の合評会評がこの句の意味を代表していると思うのである。
(葉 20.10.06.)