遠き山遠き思ひ出秋の草    山口 斗詩子

遠き山遠き思ひ出秋の草    山口 斗詩子 『この一句』  日本人の心の底にある「もののあはれ」を最も強く触発するのは、秋の風物であろう。もう一歩進めて、「生あるものは必ず滅す」という死生観に思いを致すのも秋である。そして、名もなき秋草の短い一生にそれを端的に感じる。夏の間、猛々しいほど繁っていた草が穂を出し、花咲かせ、静かに色づき、やがて実をつけ、枯れてゆく。これを眺めつつ、人は物思いに耽る。  この句はまさにそれを詠んでいる。たぶん西の方向の遠山であろう。陽が傾き、山肌は逆光となって黒くなり始めている。中景の薄野や灌木の茂みは夕日を浴びて輝いている。そして近景の秋草は色づき、枯れ色を見せ始めたものもある。作者は山荘か茶屋のテラスなど、ちょっと高い所からそうした秋景色を眺めるともなく眺めている。  思い出が次から次に甦って来る。遥か昔の事が突然湧き上がってきたかと思えば、つい数年前の思い出につながったりする。思い出というものは、昔の事から近過去の事が時系列で順序良く出て来るものではない。あっちへ飛び、こっちへ飛ぶ。脈絡も無く、取り止めも無いようだが、どこかで繋がっている。何だか一人で連句を巻いているみたい、とおかしくなったりもする。 (水 20.10.07.)

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デイケアの老女の無言蛇穴に   大澤 水牛

デイケアの老女の無言蛇穴に   大澤 水牛 『合評会から』(酔吟会) 可升 なんと重い句だろうか。なぜ老女は無言なのか、なんとなくわかる気がしてわからない。「蛇穴に」は老女の比喩だろうか、それとも取合せだろうか?それもわからない。わからないけれども、この句の気分はうっすらわかる。明日は我が身と思って読みました。 而云 老女の無言が季語「蛇穴に」と響き合う。 冷峰 幼稚園の送迎バスのように毎日五、六台のバスが競って老人を迎えにきます。老人はおしなべて無口です。                  *  近所に住むデイケアの老人は、迎えの車に乗るとき憮然とした表情をしている。本意ではないが、家族の負担をさけるために行くのだという雰囲気がうかがえる。「無言」の一語でその微妙な状況を表現しているとともに、「蛇穴に入る」のは車のドアをくぐる老女自身であると言っているようだ。常日頃この光景を見ている筆者は、いつか句にできないかと思っていた。作者は「蛇穴に入る」の季語を巧みに取り込んで、高齢化社会の一種やるせなさを詠んだ。「明日は我が身」の合評会評がこの句の意味を代表していると思うのである。 (葉 20.10.06.)

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蜩や木霊木霊す円覚寺      印南  進

蜩や木霊木霊す円覚寺      印南  進 『この一句』  句の眼目は「木霊木霊す」だと思う。木霊(こだま)が、こだまとなって還ってくるのだ。場所は鎌倉の名刹・円覚寺。横須賀線の北鎌倉駅で降りれば、目の前である。谷戸(やと)と呼ばれる鎌倉独特の谷間の中、山門から仏殿、大方丈などが、上り坂添いに続いている。作者はその道をたどりながら「カナカナ」という蝉の声を聞いた。  蜩(ひぐらし)だ、と思う間もなく、遠くから「カナカナ」の声が返ってきた。「こだまが返って来た」と判断したが、別の蜩の声が遠くから聞えて来たのかも知れない。ふと、気づけば「カナカナ」の声が、あちらからもこちらからも、遠くからも近くからも・・・。日暮れも間近な頃、まさに蜩の合唱であり、こだまがこだまを返しているようでもある。  左右は鬱蒼とした杉林が続く。陽は西に傾き始め、苔に覆われた地面に木漏れ日がぽつりぽつりと散らばっている。作者は句をひねりながら、「こだま」は仮名表記にするか、漢字の「谺」とするか、と考えた末に「木霊」で行こう、と決めたのではないだろうか。蜩の鳴き声のみが響く古刹の境内なのだ。作者でなくても「木霊がベスト」と思うはずである。 (恂 20.10.05.)

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テレワークかすむ眼に居待月   久保田 操

テレワークかすむ眼に居待月   久保田 操 『この一句』  これは令和2年の居待月の句の決定版ではないか。新型コロナウイルス感染防止には「多人数が狭い空間に集まることを止める」のが最も有効な対策ということになって、官公庁も企業も就業者に「在宅勤務」を命じた。  メールをはじめ様々なネット環境を利用して、出社しないで互いに連絡を取り合い業務を進めていくのが「テレワーク」。年末の新語大賞を待つまでもなく、否応なしに定着してしまった新語である。  在宅勤務でパソコンとカメラの前では神妙な顔を取り繕っている。ネクタイを締めるまではいかないが、髪形を整え、ちゃんとしたシャツを着て畏まっている。しかし、下半身はステテコ一丁だったり、それなりの手抜き勤務ではある。  とは言え、朝から晩までパソコンに向かっていると、目がしょぼしょぼ、肩が凝ってくる。会社のデスクに座っていれば、部長課長の様子や顔色でその日の雰囲気が分かる。同僚の動きもつぶさに分かる。しかし、在宅でのテレワークとなると、その「空気」がつかめない。いつ何時重要なメールが飛び込んで来るかも分からない。出社して平常勤務に就いていた時の方がよっぽど楽だ、などとぼやきながら、眼頭を押さえ、肩を揉んでいる。ゆるゆると上ってきた居待月が「ご苦労さん」と慰めてくれるようだ。  今日、10月4日夜の月が居待月だが、あいにく東京地方は雲が厚い。夜遅く晴れ間がのぞいてくれると良いが。 (水 20.10.04.)

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官邸にマトリョーシカを見る秋冷  杉山三薬

官邸にマトリョーシカを見る秋冷  杉山三薬 『この一句』  長らく新聞社で紙面作りに携わってきた筆者は時事句に興味がある。この句の作者もどうも政治を風刺する句が好みのようだ。今回の政権交代劇を詠んだ句であることは間違いない。前政権の評価には肯定論と否定論があり(中間論もあるか)、もちろんどちらに与するのも個人の自由である。ただ、政治への無関心はやめにして目を曇らせないのが浮世の務めと思うばかりである。  この句はともすれば川柳におちいる寸前、「秋冷」の季語が救ってみごと時事句に仕上げられたと思う。コロナ禍の対応で無力だった総理が退陣したと思ったら、マトリョーシカ人形から次の小型が出てきた。マトリョーシカだから開けるごとに小さくなるのが当然。前のものより大きくなることはないという、痛烈な皮肉が込められている。マトリョーシカの比喩が実に巧みだ。よくぞマトリョーシカという小道具を思い付いたものだ。  加えて背中がぞくっとする「秋冷」の季語もこよなく合っていると思う。「秋さびし」もいいが、秋冷と体言止めが効果を生んだ。合評会で「変われど変われど同じですね」という評も出たが、それでは困るわけで新政権には前政権の数々の負の遺産をさばいて欲しいが、果たして? (葉 20.10.02.)

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蛇穴に入らんとすればビル工事  今泉 而云

蛇穴に入らんとすればビル工事  今泉 而云 『合評会から』(酔吟会) 双歩 蛇はおちおち冬眠もできないですね。騒音で昼寝を邪魔されるのも似たようなもんです。 百子 潜ろうと思ったねぐらは、工事中ですか。行き場のなくなった蛇はどうする? 光迷 家を取られて、蛇は困ってしまいましたね。その後、どうしたんでしょう。新しい安眠の場所は見付かったのでしょうか。           *       *       *  この句を採った三人は、ねぐらを奪われた蛇の顔を想像しておかしみを感じ、冬眠する場所は見付かったのかどうか、ちょっと心配してもいる。困惑顔に俳諧らしい俳味を感じ、同時に哀感を覚えたわけである。  ビル工事は、この蛇にとって大きな災難だったが、今年もゲリラ豪雨などで家を失った人が多かった。今後の台風も心配だが、昨年の長野や千葉などの鉄橋や道路、家屋などが損傷から回復していないことにも心が痛む。  それにしても、東京五輪では暑さを避けるためマラソンなどが涼しい所でなされるのだとか。海沿いに屏風のようなビルを林立させ、道路をコンクリートで塗り固めれば、灼熱都市が誕生するのは分かり切ったことなのに…。 (光 20.10.01.)

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