自販機を叱る男や後の月    玉田 春陽子

自販機を叱る男や後の月    玉田 春陽子 『この一句』  読めばたちどころに情景が浮かび、笑いを誘う句だ。買う品物を間違えたのか、お釣りが出なかったのか、男が自動販売機に何やら文句を言っている。恐らく酔った男であろう。それを機械を相手に「叱る」と詠んだところに、俳句らしいおかしみが漂う。晩秋の季語である「後の月」の物淋しさとも響き合っている。  街中に自販機のある日本は「自販機王国」と言われる。業界団体の統計では、飲料、食品、たばこ、雑貨の自動販売機は全国で360万台あり、販売額は2兆7,600億円に上る。人口比では断トツの世界一だ。機能の進化も著しく、販売会社と通信回線でつながり、売れ筋品の情報を送ったり、補充を促したりする。カメラを内蔵し、地域の防犯カメラとして利用されているものもある。  掲句の男が相手にしている自販機はどんな種類であろうか。後の月が中天にかかる世更けに、飲み足りない男が酒を買いに出たのではないか。最近の酒の自販機は運転免許証を入れないと買えず、夜11時以降は販売停止だ。「なぜ売らない」と文句を言っている図が浮かぶ。  あるいは最近増えている「しゃべる自販機」を相手に、「言葉遣いがおかしい」などと叱っているのかもしれない。いずれにしても月の光を浴びて自販機を叱る男には、おかしみだけでなく、もの悲しさが漂う。「おもしろうてやがて悲しき」味わいの句である。  昨夜10月29日はほぼ全国で十三夜が鑑賞できた。あちこちにこの句のような情景が見られたかもしれない。…

続きを読む

柚味噌の生麩田楽後の月     澤井 二堂

柚味噌の生麩田楽後の月     澤井 二堂 『季のことば』  季の言葉が入り混じっていて、本当に困ってしまう句である。まず柚味噌(柚子味噌)とくれば秋である。田楽と来れば春である。そして「後の月」はもちろん秋である。普通の句会では、このように無造作に季語を重ねてしまうことを最も嫌う。従ってこの句も人気が無く、点を入れたのは私ともう一人しか居なかった。しかし、欠点を補って余りある、何とも捨てがたい味のある句だ。  とにかくこの句は「後の月」、つまり十三夜の月見の句である。仲秋の名月のほぼ一ヵ月後、令和二年の十三夜は今日十月二十九日。これほど遅くなる年もめずらしいが、とにかく十三夜は十月中旬以降だから、夜はかなり肌寒さを感じる。燗酒をちびりちびりやりながら、まだ左端がちょっと膨らみ足りない十三夜を愛でる。「満つれば欠くる。物事、もう少しで満杯というところが丁度良いのだ」などと道学者のようなことをつぶやき、もう二、三杯。この時の肴といったら田楽に勝るものは無いだろう。それも柚子味噌を塗った生麩田楽が一番だと作者は言う。酒をあまり飲まない人だと思っていたが、なかなかの通人だ。  東京に居ても京都や金沢の生麩が容易く手に入る。柚子味噌も年中味わえる。便利な世の中になって、季語が入り乱れるのも宜なる哉である。 (水 20.10.29.)

続きを読む

お向いが更地になりし秋の空   旙山 芳之

お向いが更地になりし秋の空   旙山 芳之 『合評会から』(日経俳句会) 博明 ポカッと一軒分の家が空き地になると、空が良く見えます。爽やかな秋にぴったり。 而云 我が家の近くでたまに見る風景。空って案外、低い所まである、と気付く。 雀九 更地になってみるとあんなことこんなことを思う。秋空の下更地が一層広く見える。 早苗 急に視界が開け、風通しが良くなった感じが伝わります。顔見知りの住民がいなくなった寂しさも「秋の空」という言葉で強まった印象です。 定利 鬱陶しい建物が消えて、青空が何倍にも大きく見える。季語の勝利。        *       *       *   作者のお向かいは長く空き家同然だったが、取り壊されて更地になったという。ぽっかり空いた空間。秋はどうしてもセンチな気持ちになる。而云評のとおり「空って案外、低いところまであるな」と実感したものの、じわり一抹の寂しさも広がる。  風水害による各地の被災地では「もう住めない」と家を捨てる例が多いと聞く。少子高齢化で継げなくなった実家を畳んでしまうケースもあるだろう。掲句は更地に伴う様々な物語を秋天に託し、爽やかながらもしみじみとした景を浮かび上がらせ、好評を博した。 (双 20.10.28.)

続きを読む

豊島園閉ぢて寂寞後の月    山口 斗詩子

豊島園閉ぢて寂寞後の月    山口 斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 冷峰 幼稚園の卒園旅行に始まって、豊島園には何度も行きました。豊島氏の支城跡です。 てる夫 豊島園の近くに転勤者住宅があって、そこに住んでいる頃行ったことがあります。ディズニーランドに比べるとアナログですが、慣れ親しんだ方には寂しいことだろうと同情します。 明古 今は静かな豊島園を後の月が照らす。いかにも寂しい景で、「寂寞」が必要かわかりません。           *       *       *  東京都民に親しまれた遊園地「としまえん」が閉園し、94年の歴史に幕を閉じたニュースはこの夏、大きな話題を呼んだ。新聞やテレビで大きく報道され、8月末の閉園日までは大勢が詰めかけて、名残を惜しんだ。  掲句は閉園後の豊島園を後の月と取り合わせて詠む。通い慣れ、思い出のある施設が閉じると聞くと、それだけで寂しく惜しむ気持ちが湧く。まして去り行く秋を象徴する「後の月」のイメージが重なると、寂しさはさらに募る。「豊島園閉じて後の月」で完結しているようにも思える。  作者に聞くと、幼いころ目白で育ち、遠足などで良く行ったという。結婚後は子供と一緒に遊び、練馬に住んだ後半生は夫婦で桜を愛でた場所でもある。閉園を悲しみ、惜しむ気持ちは、ひと一倍であろう。言い尽くせぬ思いを「寂寞」の言葉に込めたのではなかろうか。 (迷 20.10.27.)

続きを読む

手を打てば龍が鳴くなり秋の空  大下 明古

手を打てば龍が鳴くなり秋の空  大下 明古 『この一句』  これは東照宮の「鳴き龍」はじめ、由緒ある寺院の天井画を仰いでの句と取ってもいいが、やはり「秋の空」だから、真っ青に晴れ上がった大空の下で手を打ったのだと取りたい。  天高く馬肥ゆる秋である。爽やかで、深呼吸一つするたびに寿命が一年ずつ伸びて行くような気分である。特に令和二年の今年は年明け早々コロナ禍騒動で、しかも長梅雨、猛暑、台風による豪雨と気象異変が続いた。ご丁寧に秋黴雨(あきついり)という秋の長雨もちゃんと降り続き、このところようやく秋らしい空になってきた。  秋空を泳ぐ雲を眺めていると誰しも童心に返る。果てしなく広がる動物園であり水族館でもある。象さん、キリンさん、熊、狸、狐、兎、クジラ、鮪、蛸や烏賊、鯖、鰯・・・さまざまな生き物が浮かんで、ゆっくり泳いでいる。  大きな龍だっている。龍はそろそろ淵に潜る頃合いである。友達みんなで歌って踊って手を叩いたら、龍が「よーし、降りて行くぞー」と鳴くに違いない。 (水 20.10.26.)

続きを読む

蜩の声冴え渡る尾瀬の夕     竹居 照芳

蜩の声冴え渡る尾瀬の夕     竹居 照芳 『季のことば』  尾瀬の季節と言えばまず、「夏が来れば思い出す~♪」のミズバショウが咲く頃(6月)である。しかし「ニッコウキスゲ、ワタスゲの7月が最高」と言う人も少なくない。そして相当な尾瀬の通になると、「草紅葉の十月」を推すのではないだろうか。秋も末、十月の半ばになれば、山小屋が次々にクローズしていく時期でもある。  福島、群馬、新潟の三県にまたがる尾瀬の高原・湿原地帯は、行ける時期ならば何時でも何処でも「忘れ得ぬ風景」を心に刻してくれる。そしてさらに、風景だけではなく「音」もあった、と掲句を見て気づいた。作者が尾瀬に出かけたのは、ちょうど今頃だったのだろう。山のベテランに「是非この時期に」と勧められたのかも知れない。  蜩(ひぐらし)の声を聴いたのは日が西に傾き、歩き疲れてようやく山小屋にたどり着いた頃ではないだろうか。小屋の入り口の前にベンチが並んでいた。空気の薄い高原地帯である。疲れ切った作者はリュックサックを横に置き、ベンチに腰を下ろして一休み。そこに「カナカナカナ」と澄み切った蜩の声が届くいたのだ。同じような体験を持つ私は「生涯にもう一度、晩秋の尾瀬に行ってみたい」と願っている。 (恂 20.10.25.)

続きを読む

老いてゆく日々の早さや秋の空  藤野十三妹

老いてゆく日々の早さや秋の空  藤野十三妹 『合評会から』(日経俳句会) 反平 人生百年とはいうものの、この分じゃあっという間ですな。そんな気分で見上げる空は淋しさに満ちている。 雀九 漠然と誰もが感じていることだが、同輩は秋の空になおのこと感じる。 操 澄みわたる秋空に老いるわが身を投影、時の早さが滲みる。 実千代 一年があっという間に過ぎていくこの頃、年を重ねるとはこういうことなのですね。秋の空をみて感慨にふける気持ちが伝わってきます。 二堂 確かに見上げると、もう秋かと月日の経つ速さを感じます。 冷峰 還暦、喜寿と重ね明日は八十路、毎日が本当に早く感じられます。           *       *       *  作者はのたまう「次々と届く友の訃報……。懐かしく楽しかった思い出を話し合う相手も少なくなって、秋涼がいっそう身にしみます。老いてゆくのはこういうことなのかと」。  斗酒尚辞さず、句会後の「懇親酒会」には必ず参加し、天を貫く怪気炎を上げ続けた御方もついにこういう句をお詠みになるかと、うたた感慨に沈む。と思い込むのはいささか甘い。「何をくよくよ、さあ一杯やりましょう」と発破を掛けてくるに違いないのだ。 (水 20.10.23.)

続きを読む

強かや倒れてもなほ秋桜     高井 百子

強かや倒れてもなほ秋桜     高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 木葉 「強かや」を上五に置いたのが利いています。コスモスの強さをうまく詠んだと思いました。 水馬 倒れてもしっかりと咲いているコスモスをよく見かけます。実はしたたかなのですね。 春陽子 「倒れてもなほ強かや秋桜」にしたらどうでしょう。 水牛 いや、やはり原句通り最初に「強かや」をぶつける方がいい。 百子(作者) 去年、枯れたコスモスを捨てに空き地まで歩きました。すると今年、歩いた後にコスモスがいっぱい咲いている。驚くべき生命力です。        *     *     *  秋桜つまりコスモスでまずイメージするのは、紅や桃色、白などの花が風に揺れるしなやかな、優しい姿ではないか。あるいはコスモス街道などの一面に咲き乱れている光景である。しかし作者は、それらとは遠く離れた「強かな」姿をぶつけてきた。その視線にはっとさせられた。この着眼点は、作者がよく庭仕事をし、草花の生態を見続けている成果なのだろう。 「強かさ」で、菅義偉新首相や再結集に動き始めたNTTグループが頭に浮かんだ。だからといって、この句を時事句と見るのは行き過ぎだろうが…。 (光 20.10.22.)

続きを読む

大和路に風吹き抜けて龍田姫   池内 的中

大和路に風吹き抜けて龍田姫   池内 的中 『合評会から』(番町喜楽会) 冷峰 「龍田姫」の季語で箱根を詠んだ句もあったが、やはり龍田姫には「大和路」が正統です。 百子 秋の気配を素直に感じさせるいい句だと思います。 白山 「風吹き抜けて」はとても気持ちの良い表現で、「龍田姫」の季語によく合っています。 水兎 龍田姫がするりと衣を落とすように、風が紅葉を散らしてゆく姿が見えるようです。 水牛 晩秋の大和路は風が冷たくて、「風吹き抜けて」はいい詠み方ですね。           *       *       *  最初、「大和路」と「龍田姫」では付き過ぎで、あたりまえ過ぎるのではないかという気がした。それに、「〇〇路」という表現は如何なものかとも思った。例えば信濃路というと、ある人は佐久や上田を思い浮かべ、また、ある人は松本や白馬を思い浮かべたりして、どうしても印象が散漫になってしまうところがある。  しかしながら、この「大和路」は、生駒から平群に流れる竜田川に由来する「龍田姫」と合わせたことで、土地柄は明確である。皆さんの選評を聞いていて、なるほどそこに「風吹き抜けて」はいいなと、あらためて感心した。俳句を詠むといえば、いつも何かとひねくり回そうとする傾向のある筆者にとって、反省を促す清涼剤のような一句である。 (可 20.10.21.)

続きを読む

吹き出しのような夏雲何を問う  斉藤 早苗

吹き出しのような夏雲何を問う  斉藤 早苗 『この一句』  九月半ばの句会に投句されたもので、「いかに何でも夏雲は困るなあ」と採らなかった。年に一度しか開かれない句会なら四季を問わずに詠めるが、月次句会では「当季」即ちその時季に合わせた句を出すのが暗黙の約束になっている。  しかし、月報が出来上がったのを読み直すと、とても面白い句だなと思う。型に囚われず、大空を見上げて直感的に感じたままを詠んでいるところが新鮮である。  それに令和二年は春夏秋冬が入り混じるような天候不順で、投句締切りの近づいた九月初旬になっても相変わらず30℃を越す真夏日を重ね、「吹き出しのような雲」が盛んに湧き出し、仲秋とは思えない天気が続いていた。こうした句が九月句会に出てくるのもむべなるかなとも思った。  漫画の登場人物のセリフを雲形の囲みに入れたのが「吹き出し」。誰が考え出したものか、愉快な発明である。真っ青な夏空に浮かぶ綿雲(積雲)や入道雲(積乱雲)を「まるで吹き出しのようだ」と言ったところが何とも面白い。  さてその巨大な吹き出しに、あなたはどんなセリフを置くか。「サア、サア、サアサア・・・」 夏雲はむくむくと膨れ上がりつつ、答を迫る。 (水 20.10.20.)

続きを読む