雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆  大澤 水牛

雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆   大澤 水牛 『この一句』 「地蔵盆」は毎年八月二十三日、二十四日に行われる行事である。京都や大阪では、どこの町にも村にも辻地蔵があり、盛んに行われていた行事である。地蔵は子供を守る菩薩ということから、この祭りの主役は子供たちである。筆者の大阪の生家では、近所の地蔵堂の前にテントが張られ、町内の子供一人一人の名前入りの提灯が吊るされた。子供たちは提灯に火の入る夜になってもその下で遊ぶことを許され、地蔵に供えられたお菓子や西瓜がふんだんに振る舞われた。幼い頃には地蔵盆が近くなるとワクワクした気分になり、まさに夏休み最後の最大のイベントだった。  その「地蔵盆」を季語とした句が、あまり地蔵盆の風習のない関東の番町喜楽会に登場したので驚いた。また、その作者が生粋の関東人である水牛氏と判明し、二重に驚いた。作者の自句自解によれば、横浜に住む作者の町内に関西から移住してきた人が、町会役員となって地蔵盆を始めたらしい。しかし、最近は少子化のために年寄りばかりの集まりになってしまったとのこと。雲ひとつない炎天下での行事は、お年寄りにはさぞきつかったことだろう。  筆者も関東の暮らしが長くなってしまい、最近の関西の事情を知らないが、少子化傾向には西も東もなく、本場の地蔵盆も以前に比べるとずいぶん廃れているのではないかと、ふと思った。 (可 20.09.16.)

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