露光る解体を待つ木馬たち    岡田 鷹洋

露光る解体を待つ木馬たち    岡田 鷹洋 『この一句』  一読し「木馬が解体される? どこの? どうして?」と考えた人がいたかもしれない。これは、今年の九月ならではの俳句、つまり時事句なのだ。この句を採った人は「一世紀の歴史に幕を閉じた『としまえん』でしょうか。露は子供たちの涙かなあ」(てる夫)、「先日閉園した遊園地のエルドラドのことでしょうか。惜別の気持ちを込めて」(ゆり)、「豊島園がまず浮かんできました。解体と露に、はかなさを感じます」(道子)というように、舞台も解釈もおおむね一致していた。  豊島園の回転木馬は、機械仕掛けの芸術的な乗り物として「機械遺産」に認定された、世界的にも貴重なもの。1907年にドイツで誕生し、第一次世界大戦を避ける狙いから1911年に米国に渡って半世紀以上活躍、1969年に来日し、71年から50年近く豊島園で子供たちを喜ばせ続けてきた。  「エルドラドの将来は未定」とされるが、美しく彩られた24体の木馬が子供たちを乗せ、元気よく走っている光景をまた見たい。そこには笑顔と歓声が渦巻いているはずだ。 (光 20.09.18.)

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海風の抜ける道なり青蜜柑     須藤 光迷

海風の抜ける道なり青蜜柑     須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 なんと爽やかな句なんでしょう。「青蜜柑」が特にいいですね。 水牛 いいですねぇ。海風が吹き抜けてくるんでしょうね。ミカン畑はだいたい海から山に向かって登りになっている。そこを「青蜜柑」の香りですからね、爽やかさが伝わってくる。 満智 風と蜜柑の組み合わせがとても爽やかで頂きました。海と蜜柑の香りを感じます。 水馬 海を見下ろす段々畑の蜜柑園がイメージできます。和歌山のあたりとか四国・九州とか。           *       *       *  ミカンの生産量はピーク時から大きく減ったとはいえ、今でも70万トンを超え、リンゴとともに日本の果物の両横綱だ。江戸時代に鹿児島で栽培が始まったミカンは、九州、四国、紀伊半島と産地を広げ、関東にまで及んでいる。日当たりと水はけのよい土地を好むため、山や半島の斜面で栽培されることが多い。  掲句も海に向かって開けたミカン畑を詠む。皆さんの選評にあるように、海風と青蜜柑のイメージが重なり合い、爽やかさを増幅している。さらに「抜ける道なり」という断定調の表現から、海風の道に寄せる作者の深い愛着が感じられる。作者の弁によれば、句会の吟行で行ったことのある神奈川県二宮町のミカン畑という。二宮から熱海にかけては斜面にミカン畑が広がり、東海道線の車窓からも望める。今まさに青蜜柑の季節。場所を知って再読すると、趣が一段と深まる。 (迷 20.09.17.)

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雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆  大澤 水牛

雲ひとつ無くてぎらぎら地蔵盆   大澤 水牛 『この一句』 「地蔵盆」は毎年八月二十三日、二十四日に行われる行事である。京都や大阪では、どこの町にも村にも辻地蔵があり、盛んに行われていた行事である。地蔵は子供を守る菩薩ということから、この祭りの主役は子供たちである。筆者の大阪の生家では、近所の地蔵堂の前にテントが張られ、町内の子供一人一人の名前入りの提灯が吊るされた。子供たちは提灯に火の入る夜になってもその下で遊ぶことを許され、地蔵に供えられたお菓子や西瓜がふんだんに振る舞われた。幼い頃には地蔵盆が近くなるとワクワクした気分になり、まさに夏休み最後の最大のイベントだった。  その「地蔵盆」を季語とした句が、あまり地蔵盆の風習のない関東の番町喜楽会に登場したので驚いた。また、その作者が生粋の関東人である水牛氏と判明し、二重に驚いた。作者の自句自解によれば、横浜に住む作者の町内に関西から移住してきた人が、町会役員となって地蔵盆を始めたらしい。しかし、最近は少子化のために年寄りばかりの集まりになってしまったとのこと。雲ひとつない炎天下での行事は、お年寄りにはさぞきつかったことだろう。  筆者も関東の暮らしが長くなってしまい、最近の関西の事情を知らないが、少子化傾向には西も東もなく、本場の地蔵盆も以前に比べるとずいぶん廃れているのではないかと、ふと思った。 (可 20.09.16.)

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寝そびれて開け放つ窓夜這星   横井 定利

寝そびれて開け放つ窓夜這星   横井 定利 『この一句』  流星というものは出ないか出ないかと夜空を見回していても一向に現れない。それがたまたま雨戸を閉めようかと夜空を見上げた時にふっと見えたりする。そんな感じをよく伝えてくれる句である。  「寝そびれる」は「寝はぐれる」とも言うが、何か気になることや興奮することがあって、あれこれ物思いに耽ったりしているうちに目が冴えてしまい、眠ろうとしても眠れなくなってしまうことである。年をとるにつれて寝そびれることが多くなる。  そうなったらしょうがない。この作者のように思い切って起き出して、夜空を眺めながらぼんやりするのも一法だ。秘蔵のコニャックなどをちびりちびりやるのもいい。ビールや水割りなど、アルコール度数の低い酒はいけない。ついつい飲み過ぎてしまうからだ。そうすると再度眠りについた途端、今度は尿意によって目を覚まし、何のための寝酒だか分からなくなる。  ブランデーグラスをゆっくり回しながら、香りを楽しみ、来し方をあれこれ思い出す。こうなると、寝そびれたのも悪くない。窓を斜めに流れ星がスーッと過ぎる。「もうさしたる願い事も無いなあ」なんて呟いているうちに眠気が湧いてくる。(水)

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藤袴咲いた咲いたよ妻の声    堤 てる夫

藤袴咲いた咲いたよ妻の声    堤 てる夫 『この一句』  十七文字の俳句。一字の違いが天と地ほど作品の印象にとどまらず、出来具合をも左右するのだと感じたのが掲句である。中七「咲いた咲いたよ」のことである。もし「咲いた咲いたと」となっていたら、「よ」と「と」たった一字の違いながら句の印象と出来具合は大きく変わって来た。「咲いたと」と叙述的な言い回しではなく、話し言葉の「咲いたよ」だから句が生き生きと目と耳に飛び込んで来ると思うのである。作者の妻の声音や姿形まで「よ」の一文字であらわになったといって言い過ぎではない。芭蕉の言であったか、四十八文字すべて切れ字になるということを読んだ記憶がある。この「よ」はまさしく切れ字であり「と」より強く中七を切っており、しかも句にそこはかとない情緒を呼び込んでいる。  筆者は、結構な庭をもつ信州上田の作者の家も、奥方をもよく知っている。それゆえ、先に述べたように感じるのではないかという疑問もあろうかと思う。それを全部否定はしないが、ことはあくまで一字の違いによる句の完成度である。重ねて言えば、「咲いたと」したら残念ながら新鮮味はなかったろう。印を付けておきながら採らなかったのを悔やんでいる。 (葉 20.09.14.)

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閉店の貼紙千切れ秋の雷    向井 ゆり

閉店の貼紙千切れ秋の雷    向井 ゆり 『合評会から』(日経俳句会) 実千代 閉店の寂しさが何倍にもなって伝わってきました。 昌魚 閉店後どれほど経つのでしょうか?貼紙が千切れ、雷とは、寂しいですね。 弥生 「秋の雷」が閉店風景をより印象的にしている。 鷹洋 老舗も生き残れない厳しい現実。雷雨に千切れる、は付き過ぎの感もありますが。 雅史 コロナ禍で苦境に追い込まれた店主の無念さが伝わってきます。 水馬 コロナでつぶれるお店が増えてますね。タイミングが素晴らしい句。 明生 なんとももの哀しいが、それが「現実」なのだと思います。 ヲブラダ ラーメン屋さんの閉店の貼紙に、「リーマンショックも消費増税も乗り切ってきましたが、コロナには負けました」と書いてありました。        *       *       *   「閉店」の二文字にはドラマがあるので、店仕舞いや貼紙の句は時折見かける。店を閉める理由は、リーマンショックなどの景気悪化や後継者不足など様々だ。掲句には何も情報がないが、コロナに起因していることは今や誰もが抱く共通認識だ。水馬さんの言うとおり、投句のタイミングが良かったのだろう。共感票が二桁になった。  鷹洋さんの言うように雷は付き過ぎではないかと筆者も思ったが、作者によると実際にゲリラ雷雨に遭遇したのだという。フィクションを好まない作者ならではの「秋の雷」だ。 (双 20.09.13.)

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夏山の青に染まりて羽ばたきぬ  篠田 義彦

夏山の青に染まりて羽ばたきぬ  篠田 義彦 『この一句』  「羽ばたく」というからにはある程度大きな鳥だろう。両翼を広げて上下に動かして飛ぶのが「羽ばたく」だから、原義からすれば雀などの小鳥だって羽ばたくのだが、何となく大空を悠然と飛翔する鳥が目に浮かぶ。ことに詩文では雀や四十雀が「羽ばたく」様を殊更うたうことは少ない。  となると、夏山を背景に羽ばたくというこの鳥は何だろう。峨々たる高山だと鷲や鷹が似つかわしい。緑豊かな里山、そこから少し奥に入った千メートル級の山ではどうか。そこには鷹も鳶も羽ばたき舞うが、私はこの句を見た時に瞬時に白鷺を思い浮かべた。  里山の一角に営巣し初夏から夏場を通して子育てに励む。大空を舞い、獲物の蛙や小魚のいる所を見つけると降りてやみくもに呑み込んで、巣に戻り吐き出しては雛に与える。夏の鳥として日本人にお馴染みで、夏の季語になっている。真っ青な空に真っ白な翼を大きく羽ばたく姿はとても印象的である。  「青に染まりて羽ばたきぬ」という軽快なリズムが、若者が世の中に出て大きく羽ばたこうと意気込んでいる姿と二重写しになって、爽快な気分を抱く。コロナ籠もりにうんざりした者に取っては、清涼剤のような句でもある。 (水 20.09.11.)

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「みんなの俳句」来訪者が14万人を超えました

 俳句振興NPO法人双牛舎が2008年(平成20年)1月1日に発信開始したブログ「みんなの俳句」への累計来訪者が、9月10日に14万人を越えました。これも一重にご愛読下さる皆様のお蔭と深く感謝いたします。  このブログはNPO双牛舎参加句会の日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会の会員諸兄姉の作品を中心に、日替わりで一句ずつ取り上げて「みんなの俳句委員会」の幹事8人がコメントを付して掲載しています。  このブログも徐々に知れ渡って来たのでしょうか、今年に入って来訪者が急に増え始め、5月11日に「13万人を越えました」と御礼メールを差し上げてから4ヵ月で1万人増えました。  幹事一同、これからも力を尽くしてこのブログを盛り立てて参る所存です。どうぞ引き続きご愛読のほどお願いいたします。        2020年(令和2年)9月11日 「みんなの俳句」幹事一同

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走馬灯戻らぬ過去も廻りけり   加藤 明生

走馬灯戻らぬ過去も廻りけり   加藤 明生 『この一句』  掲句を選んだ後に少し考えてしまった。「戻らぬ過去?」。過去はもともと戻らないものなのだ。この句に「戻らぬ」は不要ではないだろうか、と。コロナ騒動のため、幹事からのメールを受けたり、返信したりの句会である。句会の幹事に選句の訂正を頼もうかと思ったが、手間を掛けるほどのことではない、と思い直し、そのままにしておいた。  その夜、布団に横になると自然に「戻らぬ過去」が頭に浮かんで来た。「戻らぬ過去も廻りけり」。理屈抜きに、やはりいいなぁ、と思ってしまう。人や馬や富士山や、さまざまなものが廻っていく。走馬灯は戻らぬ過去を思い出させてくれるものらしい。昔、諦めたこと、挑戦出来なかったこと、嬉しかったこと、恥ずかしかったことも・・・。  縁日などで走馬灯を見たのは子供の頃のことだ。きれいだけれど、アトムや恐竜が出てきたらもっといいのに、などと思っていた。その頃は過去を振り返るなど絶無と言っていい。「過去は戻らぬ」などと思うのは中年、いや老年になってからではないだろうか。私がこの句を見て、「いいなぁ」と思った理由が次第に明らかになって来た。 (恂 20.09.10.)

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原爆忌子との話しに孫も入る   澤井 二堂

原爆忌子との話しに孫も入る   澤井 二堂 『この一句』  一読どういうことなのかと首を傾げるところもあるが、同じ作者が同時に出した句に「原爆忌なぜなぜなぜと孫の問ふ」があり、二つ合わせると情景がはっきり見えてくる。広島長崎の惨禍から75年、息子を相手に原爆の話や苦しかった戦後の思い出を語っていたら、孫が「なあに」と割り込んで来たのである。  作者のお年からすると、物心ついた頃にはあの忌まわしい戦争は終わっていたはずだから、無論、原爆投下や敗戦当時の惨状は、この可愛い孫の年頃になって親や周囲の大人から聞かされて知ったのだ。しかし、作者は幼児期に敗戦後の苦しい混乱時代を経験しているから、原爆や空襲を直接体験したかのように脳裡に浸み込ませている。  息子の戦争に関する知識は主に父親である作者からの伝聞である。ましてや孫にとっては、全く別世界の出来事である。しかし孫にしてみれば、いつも優しいおじいちゃんが少し恐い顔をして、パパに戦争やピカドンの話をしているのが気になって、「なぜ、どうして」ということになったのだ。  この二つの句を見て、私は少なからずほっとした。まだこうしたしっかりした家庭がちゃんと残っているのを知ったからである。俳句という浮世離れした文芸にうつつを抜かしていられる幸せな日本と日本人を守って行くには、あの酷い戦争の話をこのように子から孫へと伝えていくことが、何より大切だと思う。(水 20.09.09.)

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