二百十日復旧未だ千曲川     堤 てる夫

二百十日復旧未だ千曲川     堤 てる夫 『季のことば』  「二百十日」は立春から数えて210日目のこと。今年は8月31日だった。台風シーズンと重なるこの時期は、ちょうど稲の開花期にあたり、台風の襲来は米の収穫を大きく左右する。そこで、二百十日と二百二十日は充分注意するようにと、江戸時代の天文暦学者、渋川春海が定めたという(詳しくは水牛歳時記参照)。一般的には災難に遭った日も厄日というが、俳句ではこの両日を別名「厄日」ともいう。いずれにしても、二百十日や二百二十日には災厄のイメージが内包されている。  掲句は、昨年秋の台風で被災した千曲川の復旧状況を詠んでいる。上田在住の作者はこれまで、「流木を中洲に残し冬千曲」や「鮎来るや千曲は重機工事中」など、台風の爪痕を季節毎に詠んでいる。来春の復旧を目指している上田電鉄別所線の通称「赤い鉄橋」の復旧工事の進捗具合は、特に気になるようだ。市民の足である別所線。千曲川に架かる鉄橋はシンボルでもある。何よりも自宅前を路線が走っているので、人ごとではいられない。  作者によると、別所線は来年二月末には全線開通する予定だという。それを聞いた俳句仲間は、開通祝いに押しかけようと目論んでいるとか。開通した時の投句も楽しみな定点観測の一句だ。 (双 20.09.30.)

続きを読む

秋草や買手のつかぬ一等地   玉田 春陽子

秋草や買手のつかぬ一等地   玉田 春陽子 『この一句』  トリクルダウンが全国津々浦々まで波及するはずだったアベノミクスは、残念ながら夢物語となってしまった。地方とその中核都市の衰微は覆い隠せない。かつて賑わいを見せた目抜き通りは、シャッターを下ろした廃店舗が軒を連ねているありさまだ。中には更地となって次の活用先をさがしている一角もある。この句はその情景を詠んだものだ。日本経済の失われた二十年(それ以上だという主張もあるが)を象徴する時事句と取るのに無理はないと思う。時事句とはいえ、俳句に直截的な「政治」を持ち込むのは憚れるが、目の前の情景に借りてこれくらい政治に皮肉を言ってもいいだろう。  都区内や近郊都市ではない地方駅前一等地のことと想像する。昔は商売人なら垂涎の土地だったのに、今や更地の草ぼうぼう。郊外のショッピングセンターに客足を取られ廃業をやむなくされた、たぶん老舗だろう無念さが描かれている。名のある秋の草花ではなく、「秋草」という季語が動かせない。秋草には色とりどりの美しいものも多いが、総じて寂し気なのが秋草の本然だろう。なんでこの土地が売れないのと、昔を知る作者の詠嘆が聞こえてきそうな一句である。 (葉 20.09.29.)

続きを読む

秋の空余所行きを着てそこらまで  横井定利

秋の空余所行きを着てそこらまで  横井定利 『季のことば』  「秋の空」は初秋・仲秋・晩秋と八月初旬から十一月初旬まで三秋通じて使える季語だが、八月はまだまだぎらぎら照りつけるお日様にうんざりすることが多く、「いかにも秋空だなあ」と感じるのは九月末から十一月初めにかけての時期であろう。相変わらず陽射しは輝いているが、肌を焦がすという感じは無くなっており、吹く風は涼しく、空高くまで澄み透っている。  十月の声を聞くころになると、日本列島は大陸から張り出して来る移動性高気圧に覆われて「天高く馬肥ゆる」澄み切った青空が広がる。高空には刷毛で掃いたような巻雲(絹雲)が現れ、その下には群れなす鰯のような巻積雲が帯をなす。空気もついこの間までとは違ってべたつかず、さらっとした感じである。  こうした気候になると人はそぞろ遊び心をくすぐられ、旅に出たくなったり、繁華街へ買い物に出かけたいなどと思うようになる。ところがどっこい、コロナ禍のおさまらない令和2年秋は大手を振ってはしゃぎ回る気にもならない。せっかく作った余所行きも衣装ダンスにぶら下がったままである。しょうがない、ちょっと着てみて、近間の散歩でも・・。  「余所行きを着てそこらまで」がいかにも俳諧で、コロナ禍を離れても通用する素晴らしい句だ。 (水 20.09.28.)

続きを読む

地方紙に秋草くるみ帰京せり   廣田 可升

地方紙に秋草くるみ帰京せり   廣田 可升 『この一句』  秋草(あきくさ)は、秋の野山に自生する草花の総称である。秋の七草をはじめ、吾亦紅、竜胆など美しい花を咲かせるものが多い。もちろん秋の季語であり、秋の草、色草、千草、八千草といった傍題がある。色とりどりの秋草が咲き乱れる野原は「花野」という季語になる。  掲句はその秋草を摘んで新聞紙に包み、帰京する人を詠む。故郷に帰省したのか旅先なのか、美しい秋草に目を止め、持ち帰ろうと考えた。地方紙という言葉が、自然豊かな田舎の暮らしを連想させ、秋草のイメージに重なる。さらに「くるむ」という表現に秋草を愛おしむ思いが滲んでいる。  地方紙は特定の地域で発行される新聞をさす。戦時中は「一県一紙」に統制されたが、戦後に増え、新聞協会に加盟している1万部以上の地方紙でも71社ある。地元密着のニュースを強みとし、紙面にはその地域の特性や文化が強く表れる。地方から届いた果物などが地方紙に包まれていると、その土地の暮しも一緒に運ばれてきたように感じる時がある。  作者は、そんな地方紙にくるんだ秋草を持って東京に帰る。「帰京せり」という言い切った下五は、持ち帰る心の弾みを表していると見るのが常識的だ。しかし秋草のない都会に帰らざるを得ないわが身を強調することで、秋草の里への思いを残したと見るのは深読みが過ぎるだろうか。 (迷 20.09.27.)

続きを読む

水吸ふて厄日の砥石深き色    嵐田 双歩

水吸ふて厄日の砥石深き色    嵐田 双歩 『合評会から』 てる夫 厄日でいろいろな道具を手入れする句が多く出ています。その中でも、この「砥石」が「水吸ふて」がいいなと思っていただきました。 迷哲 鎌を研いだり、風よけを作ったり・・・厄日はそういう日なのだなあと思いました。よく厄日を捉えているなと思いました。           *       *       *  「厄日」は「二百十日」。風水害により農業や生活に大きな災厄がもたらされる時期であり、災厄に対し備えをすることや、神仏にその安穏を祈ることを本意とする季語である。鎌や鍬をとりあげたり、大工仕事をとりあげる句が多かった中で、この句は「厄日」に対し道具ではなく「砥石」を配している。読者は当然ながら砥石で何を研ぐのだろうかと考えさせられる。さらに「水吸ふて」、「深き色」などの措辞は、水害のイメージや、その影響の重さを想起させる。周到に組み立てられたミステリーを読むような、味わいのある句である。  地球環境の変化によるものか、年を追って風水害がひどくなりつつある。厄日の少しでも平穏であることを祈らざるを得ない。 (可 20.09.25.)

続きを読む

串団子二と三に分け居待月    野田 冷峰

串団子二と三に分け居待月    野田 冷峰 『季のことば』  居待月とは仲秋の名月(十五夜)の三日後、旧暦八月十八日の月のことである。十五夜の次の夜は「十六夜」。十五夜は日没後間もなく上って来るが、それより三十分近く遅く、ためらうように上ってくるので「いざよい」と呼ばれる。次の晩はさらに三十分ほど遅れて出て来るので「立って待っている」立待月。その翌日が十八夜の「居待月」。十五夜に比べると1時間半も遅いから、立って待つには草臥れるというわけだ、  令和2年は旧暦と現代の暦とのずれが大きく、仲秋の名月がなんと十月一日にずれ込んだ。従って居待月は十月四日ということになる。ということからすると、この句は一月早い居待月を見ての詠かも知れない。兎に角居待月の出るのは七時の頃合いで、あたりはもう真っ暗、筆者などはだいぶ出来上がっている。  この句は居待月の情感を実によく捉えており、選句表で見た時に思わず「うまいなあ」と唸った。後から作者名が知らされて、いかにも愛妻家の句らしいなあと感じ入った。生前の愛妻と居待月を愛でつつ月見団子を分け合った思い出の句であろう。一串五個の団子を二個と三個に分け合って食べたのだろうか。いや、これは二人ともまだ若い頃のことで、「あなた三本、私二本」ということだったのであろうか。 (水 20.09.24.)

続きを読む

大厄日小川大河に様変わり    池内 的中

大厄日小川大河に様変わり    池内 的中 『季のことば』  きょう日の「厄日」といえば、自身にちょっと不運な事故が起きたりミスを連発したりした時に発する常套句――「ああ、きょうは厄日だ」。季語の上では時候の項目。二百十日の台風は農家にとって大厄だ。昔から台風の襲来は、一年の稲作の努力を無にしかねない鬼門だからこの頃が厄日となったという。近年はことに風水害が多い。一昨年の広島地滑り、去年の千曲川氾濫などいくつも指を折ることができる。風害だって房総大被害は去年の事である。  農家ならぬ筆者ら俳句仲間。今月の番町喜楽会の兼題「厄日」はもっぱら二百十日の天文を詠んだ句が多かった。この句も台風禍の光景を詠んでいる。作者の住む身近に小川が流れているのだろうか。突然のゲリラ豪雨が、ほんの数キロ四方の地域に襲い掛かる気象がいま日常茶飯となっている。あれよと言う間に小川がまるで大きな川になったようだというのは、よくあることだ。しかしいくら何でも「大河」はなかろうという声も出そうだが、そこが俳味だと思う。あえて大河と大げさに言ったのがこの句のミソだ。平易に「厄日」を詠んで、そりゃそうだと納得する。 (葉 20.09.23)

続きを読む

星とんで熊除けの鈴響きをり  池村 実千代

星とんで熊除けの鈴響きをり  池村 実千代 『この一句』  山道や高原を歩く人たちは鈴や音を立てる金具を腰に下げたり、携帯ラジオを鳴らしたりしている。「熊除け」である。本州に棲むツキノワグマは好んで人間を襲ったりはしない。出会い頭にぶつかって驚いた時や、獲物を追っている最中や、これから餌場に向かう途中などで遭遇すると、怒って襲いかかってくるのだという。だから予め遠くから「ここに人間がいるよ」と知らせてやるのだ。  とにかく、熊除けの鈴の響きが聞こえて来るということだから、人里離れた場所にいるのであろう。初秋の山荘かも知れない。ちょうど星を見るのに良い時分だ。都会の夜は明るすぎて、空は汚れっぱなしだから、星なぞ金星と火星くらいしか見えない。しかし、山荘のバルコニーから仰ぐ夜空は、これが同じ日本の空かと思うばかりの美しさだ。澄み渡り、天の川もはっきり見える。流れ星もすーいと飛んでは、「あらまたお願い唱えるの忘れてしまった」なんて呟いていると、また別の方角にすーっと飛ぶ。  もうそろそろ山荘を閉じる頃合いである。「あーこれで今年の夏休みも終わり。明日はまたコロナの東京に戻るのね。もう一つ流れ星待ちましょう。今度こそ『コロナ封じ』を祈るのよ」と決めて、見上げる。 (水 20.09.22.)

続きを読む

枝豆も出さぬ店とは縁を切り   塩田 命水

枝豆も出さぬ店とは縁を切り   塩田 命水 『季のことば』  「枝豆」は秋の季語。まだ熟していない青い大豆を枝も莢も付いたまま塩茹でして、笊や皿に盛って出す。お月見に供えることもあるので「月見豆」ともいう。枝付きだから枝豆なのだが、莢だけで出てくることがほとんどだ。居酒屋などでは、冷奴(夏の季語)と並び〝とりあえずビール〟と共に手軽なつまみとして注文することが多い。最近は行く機会がなくなったが、ビアガーデンでは枝豆と焼鳥以外、頼んだことがないような気がする。冬でも電子レンジでチンした暖かな冷凍枝豆が付きだしで出て来たりするが、これはこれで意外に旨い。  とまあ、枝豆について飲み屋に限定した話を展開したが、掲句はお酒中心の飲食店が舞台だと思えるからだ。何しろ作者は怒っている。枝豆が食べたいのに注文したら、ない、と言われむくれているのか、枝豆すら供しようとしない店の態度に憤慨しているのか、十七音からは読み取れない。とはいえ、筆者も何となく同調する。そうだそうだ、そんな店はこっちから願い下げだい、と。  歳を取ると、詳しくは知らないけれど、前頭葉がなんとか、海馬がどうとかで、こらえ性がなくなるらしい。思い当たる節は多々ある。ちょっと糸がもつれると、すぐに「ええい、もう」、とほぐす努力を省いてぶち切ってしまいたくなる。どういう状況で、どんな事情があったのか、機会があったら作者に聞いてみたい。枝豆でも食べながら。 (双 20.09.21.)

続きを読む

夜這星岬で追った夢どこへ   荻野 雅史

夜這星岬で追った夢どこへ   荻野 雅史 『この一句』  同じ句会に「青年はみなストーカー夜這星 青水」というストレートな言い方の句もあった。「夜這い」という言葉が平気で語られていたのはいつ頃までのことだったろう。半世紀前、昭和四十年代くらいまでか。粗野で卑猥な響きもあるが、一方極めて開けっぴろげで人間的、健康的でもあったのだ。  しかし、実際のところは、昭和三、四十年代の都会の青年男女はうぶなもので、互いに思いを寄せながら、手を握り合うまでにえらく時間がかかるといった塩梅だった。だから大学のサークル活動か何かで海山に合宿に出かけ、夜になって女子のバンガローに夜討ちを掛けよう、夜這いだ、などと威勢のいいことを言い合いながら出発しても、いざ近くに来ると進めなくなって、「わあーっ」と蛮声を張り上げただけで引き上げるなんていうありさまである。  現在のように、交際を大して深めもせずに、あっさり男女の仲になってしまって「しょうがない結婚」したり、十代のシングルマザー続出なんてことは考えられもしなかった。  この句も、頭に「夜這星」を据えているから、「追った夢」も恐らく恋の雰囲気を帯びたものに違いない。うぶだった自分を懐かしんでいるのだろう。そして、中高年のペーソスも漂ってくる。 (水 20.09.20.)

続きを読む