悲しみは赤錆となり原爆忌 岩田 三代
悲しみは赤錆となり原爆忌 岩田 三代
『この一句』
戦争や大震災など民族共通の体験・記憶を語り継ぐことは、人間の根源的な営みであり、また義務でもある。広島と長崎に筆舌に尽くせぬ苦しみをもたらした原爆も、直後から語られ、記録され、描かれ、表現されてきた。俳句もその一翼を担う。「弯曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太」「子を抱いて川に泳ぐや原爆忌 林徹」などの句が知られる。
被爆から75年が過ぎ、直接の被害者は大半が亡くなり、戦争を体験した世代も少なくなっている。災厄を語り継ぎ、平和を祈る営為は、若い世代が引き継いで行かなくてはならない。日経俳句会の8月例会に「原爆忌」の兼題が出されたのも、戦争を知る世代である出題者のそうした思いが反映されたものであろう。
掲句はその中で最高点を集めた。赤錆は75年の時の経過を象徴している。原爆のもたらした惨禍、悲しみは時を経て錆となろうとも消すことはできない。風雪に耐える原爆ドームの鉄骨のイメージとも重なる。「赤錆となり」という措辞は、風化を連想させる表現でもあるが、戦後生まれの作者は風化させてはならないという思いを、逆説的に強調したかったのではなかろうか。
(迷 20.08.25.)