からからと扇風機だけ母の死す  田中 白山

からからと扇風機だけ母の死す  田中 白山 『この一句』  扇風機が夏の季語である。扇風機は明治27年に国内生産が始まり、大正、昭和初期にかけ店舗や鉄道車両を中心に広がった。一般家庭に広く普及したのは戦後になってからで、当時は鉄製の三枚羽根が大半だった。昭和40年代以降はプラスチックの5枚羽根、7枚羽根が登場、音も静かで風量も豊かになった。エアコンが普及するまでは家庭の夏の必需品であり、歳時記には「扇風機さげて嫁いで来し妻よ」(轡田進)の例句もある。  掲句は扇風機と母の死を取り合わせて詠む。「からから」と回る扇風機は、武骨な昔風の鉄の羽根をイメージさせる。夏の暑い日に母親が亡くなった時、病床の脇に置かれた扇風機が乾いた音をたてて回っていたのであろう。母の臨終の記憶の中で、強く刻まれた扇風機の音。「扇風機だけ」という断定の言い回しが、その時の衝撃の大きさと悲しみの深さを表す。  作者は昭和一桁の生まれなので、若い頃に母親が亡くなったと考えれば、鉄の羽根を持つ扇風機と時代的に合う。あるいは実家では古い扇風機を長く大事に使っていたのかも知れない。母親が亡くなった時の心象風景を、からからと鳴る扇風機で表す。読み手の心に残る一句だ。 (迷 20.08.10.)

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