長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜  大澤 水牛

長梅雨やうらなり茄子へぼ胡瓜  大澤 水牛 『この一句』  8月1日、関東地方の梅雨がようやく明けた。当地の梅雨入りが6月11日だったから、明けるまで50日以上かかった勘定だ。過去の例と比べてもあまり意味はないが、つくづく今年は雨ばかりで、殊に豪雨は各地に甚大な被害をももたらした。  ある日、「長雨でベランダの野菜が駄目になった」と句友からメールが来た。「拙宅も似たようなもの。ところで水牛さん家はどうなのだろう」と筆者。大澤水牛さんは年季も知識も豊富で、野菜や花を育てるのが上手いのは有名なので、ちょっと気になった。句友曰く「大澤さんは玄人裸足だから、元気に育っているのでは」。というような遣り取りがあった直後、句会の選句表で掲句を見つけた。内容といい、詠み方といいこの句の作者は他に考えられない、と確信した。上記会話を聞いた本人から答をもらった気になって、「水牛さんのような名人でも駄目でしたか」とシンパシーを抱いて票を投じた。  作者によると「過度の湿気と日照不足で、うどん粉病に罹ったりと困りました」とのこと。句会では「俳句を詠んで楽しんでいる(春陽子)」「歌をうたっているような印象(てる夫)」「ユーモラスに詠んでいていい(満智)」など、軽妙な詠み方が好評で最高点となった。ところで、この句には季語が三つあるが、作者の見当がついたところで思った。「名人に定跡なし」。 (双 20.08.07.)

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寝ころんで独りに広き夏座敷   中村 迷哲

寝ころんで独りに広き夏座敷   中村 迷哲 『合評会から』(日経俳句会) 明生 伴侶を亡くされた方の句でしょうか。子供もみな巣立ってしまった。これからは、独りで生活しなければならない。それにはやや部屋が広すぎる。そんな寂しさを感じさせる句だと思いました。 水馬 連れ添いをなくされたのでしょうか。寝ころんで独りをしみじみ実感されたのでしょう。「広し」と切れを入れたほうが好きですが。 睦子 田舎の大座敷でしょうか、大の字になっても優雅な広さは贅沢だなあ。 二堂 座敷に寝転んだ子供の頃、座敷の広さが気になりました。そんなことを想い出させる句です。           *       *       *  作者の自句自解によると、佐賀の実家の座敷を詠んだものだそうである。ご両親が他界され、今は無人の家にお盆で帰省し、寝ころんだところ、親族が賑やかに集っていた頃との落差を感じたというのである。  田舎の昔風の日本家屋の座敷は広くゆったりと出来ている。その真ん中に大の字になれば、吹き通る涼風とひんやりした疊が心地良い。するとたちまち、昔のことが走馬燈のように次から次へと現れて来る。 (水 20.08.06.)

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万緑を真四角に伐り駐車場    今泉 而云

万緑を真四角に伐り駐車場    今泉 而云 『季のことば』  「万緑」という季語は俳句に親しむ人にとって、句作をそそる季語のひとつであると同時に実に難しい主題であると思う。目の前の景を詠めば事足るのだが、何百何千という類句がすでにある。あとはなにかに仮託して詠むか。これも万物の生命力を謳うにはなにか新奇性が欲しくなる。草田男の句の存在はあまりにも大きい。ポピュラー過ぎる季語でありながら、句会で大方を唸らせる句はそう多くないのが実状であるまいか。  この句は斬新である。樹木と草々の旺盛さを感じさせるのはもちろん、一転環境問題にも一言ありますと詠んでいるようだ。山間の最近脚光を浴び始めた観光スポットだろうか、車でやって来る観光客のために緑を根こそぎ伐り取って駐車場が出来たとみたい。緑一面の自然の中に人工物がポツンと。「こんなことをしないでもいいのに」と、メール選句の一人が慷慨していたが筆者も同意する気持ちがある。句評に戻って結べば、「真四角に伐り」ときっぱりとした措辞にそれが駐車場だというのが面白くもある。 (葉 20.08.05.)

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青田風マスク外して深呼吸    金田 青水

青田風マスク外して深呼吸    金田 青水 『合評会から』(番町喜楽会) 白山 今時の感じですね。まさしくこんな感じです。 而云 句会によく出てくるような普通の句ですが、今のこの時代にマッチしている。 幻水 広々した田圃でマスクを外し、思い切り深呼吸する。新鮮な空気が気持ちいいのでしょう。 百子 以前だったら「青田風」が吹く頃に、マスクをしてる人なんかいないでしょうが、いまは、私の住む田舎の田圃を散歩する人でも、マスクをしている人がいます。 二堂 田舎道をマスクをして歩いていたのでしょう。用心深い人ですね。 命水 すがすがしい風が吹く時にはマスクを外して深呼吸したくなりますね。 満智 マスクを外した時の爽快感が実感できます。           *       *       *  「以前の句会にあったような気がする」という声が合評会で何人かから出た。確かによくありそうな句であり、何の変哲もない句だ。でも非常に気持が良い。「青田風」という季語のお蔭だろう。 (水 20.08.04.)

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井戸替やのぞき込む子の服掴み  向井 ゆり

井戸替やのぞき込む子の服掴み  向井 ゆり 『合評会から』(酔吟会) 三薬 私にもガキの頃井戸替えの作業を、びっくりしながら覗き込んでいた記憶があります。ホントに落ちそうで危なっかしい。服を掴んでくれた大人がいたか、記憶にはない。 道子 非日常にはしゃぐ子供と見守る大人。町内会の絆がうらやましい。 静舟 そんなに覗いたら危ないよ!子供は興味津々。親は冷や冷やで子の袖摑む。状況が面白い。 二堂 怖さ知らずの子供が井戸を覗き込んだのでしょう。危ないという思いがうまく出ています。 水兎 覗いてみたいですよね。私も現場に遭遇したら、絶対覗かせてもらいます。       *         *         *  「晒井」という兼題は馴染みがなく、筆者も初めて聞いた。傍題は「井戸替」、「井戸浚」。底に溜まった塵芥などの汚れを浚い、井戸を奇麗にし水の出を良くする作業だという。水道が普及する前は、夏の年中行事だったそうだが、今やめったにお目にかかることはない。句会では、身近に井戸があった頃の記憶を辿って作句した人が多かったようだ。  作者も子供のころの記憶を探った一人。かつて実家にあった井戸、のぞき込む弟、その弟をしっかり掴む母親の手、と次々と記憶の焦点が定まって、掲句になったという。ついさっき見てきた光景をスケッチしたかのようなリアルな描写がとても魅力的だ。季語には、眠っていた昔の記憶を呼び覚ます効果もあるようで、難しい兼題にも拘わらず、堂々の一席に輝いた。 (双 20.08.0…

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涼やかに岡虎の尾と平茶碗    久保 道子

涼やかに岡虎の尾と平茶碗    久保 道子 『季のことば』  「岡虎の尾」とは? と首を捻り、辞書を開く。「サクラソウ科の多年草。高さ40~80㌢、夏に白色の五弁花を湾曲した総花序を茎頂につける」などとある。野草らしいが、もう少し知りたいと全七巻の「季寄せ―草木花」で調べてみても出ていない。では歳時記は、これにも出ていない。岡虎の尾は季語ではないのだな、と独断する。  俳句を始めて半世紀余り。植物についてはそれなりに心得ているつもりだが、それらはほとんど「季語」に限られていたのだ、とこれまた独断。「草花のおおよそは季語と思いがちだが、そうとは限らない」などと書き、当欄の編集者・大澤水牛氏に送稿したら、「 “虎の尾”が季語ですよ」との指摘。いやぁ、参った、参った。  日本大歳時記で調べ直すと「虎の尾」しか項目がない。ならば、とネットで検索したら、虎の尾には「岡虎の尾」と「沼虎の尾」があるという。岡虎の尾の写真もあり、太そうな花穂に五弁の白い花がびっしりと咲き、先は垂れ下がっていた。この花に平茶碗を配した様子を思い浮かべる――。ようやく端正な茶室が浮かび上がって来た。 (恂 20.08.02.)

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