短夜や夢の続きを惜しむ夢 高石 昌魚
短夜や夢の続きを惜しむ夢 高石 昌魚
『季のことば』
夏至を中心に夜が最も短くなる頃の季語として、「短夜」とその裏返しの言い方である「明易し」(あけやすし)があり、俳諧の時代から盛んに詠まれ続けてきた。遡れば、万葉、古今の和歌にも沢山歌われている。
ただ、夏至の頃の本州付近は梅雨の最中であり、夜が明けても日が差さず暗いままだから、短夜や明易しの感じがもう一つぴんと来ない。短夜をしみじみ感じるのは7月中旬の梅雨明け頃ではないか。
それはともかく、この時期は猛暑に向かう頃でもあり、寝苦しく、眠りが浅くなってよく夢を見るようになる。この句は、それをとても面白く詠んでいる。おそらく楽しい夢だったのだろう。しかし、夢は大概いいところでぷつんと切れてしまう。それで、その続きを見たいなあとつぶやいている夢を見ているというのだ。「うん、あるある」と共感する向きも多かろう。
しかし、夢というものは「かくあらまほし」という願望の為せる業なのだろうから、大願成就、大団円を見届けることはあり得ないのではないか。「見果てぬ夢」という言葉があるように、常に「夢の続きを惜しむ夢」を見続けることになるのであろう。
(水 20.07.16.)