毛虫焼く来ては駄目よと祖母の言ひ 向井ゆり
毛虫焼く来ては駄目よと祖母の言ひ 向井ゆり
『この一句』
生き物を殺めることは、蚊やゴキブリの害虫であっても、なにがしかの心の痛みを覚えるものだ。まして生きて動いている毛虫に炎を向け、焼き殺すことは、罪を犯すような疚しさを感じざるを得ない。「果樹を守るためにやむを得ない」などと心中で言い訳をして、信長の叡山焼き討ちがごとき己の所業を正当化することになる。
句会で点を集めたのは「前世とか来世の話毛虫焼く」(水馬)、「輪廻して毛虫だったらまあいいか」(可升)など、人と毛虫の宿世に思いを巡らせた句だ。ともに俳諧味溢れる佳句だが、評者は優しい祖母を登場させた掲句に、より心惹かれた。
毒のある毛虫に近づけないため、孫に呼びかけていると読むこともできるが、ここは祖母が「この木に来ては駄目でしょう」と毛虫に語りかけていると解したい。来ては駄目と言いながら、毛虫を焼き落とす矛盾した行動。そこに自然と生き物を傷つけ、殺して生をつないでいる人間の宿業がある。毎年の作業ながら、優しさを失わず毛虫に呼びかける。万感の思いのこもった「来ては駄目」ではなかろうか。
(迷 20.07.12.)