久々の飛行機雲や薄暑光 谷川 水馬
久々の飛行機雲や薄暑光 谷川 水馬
『この一句』
「飛行機雲」を詠むのは難しい。誰もが目にするし、見るとちょっと得した気分になるので、一度や二度は作ったことがある人が多いのではないか。そういう意味で、句材としては少々手垢にまみれている。ハードルの高い“飛行機雲句”だが、この一句は違う。修飾語「久々の」によって、古い句材に「今」を吹き込んだ。現在を生きている作者が五七五に息づいている。
私の住まいの上空は旅客機の航路なのか、四六時中飛行機が飛来する。機上から自宅の屋根を見たこともあった。そんな地なので、飛行機雲を見る機会は多い。1万メートル前後の高度で発生しやすいそうなので、概ね機体は目視できない。ただ白い線が、まるで運動場に引く白線のように真っ直ぐに伸びていく。青空に描かれた白線は実に清々しい。ところが最近は、飛行機が飛ばなくなった。コロナ禍で航空需要が激減し、国際便はもとより国内便も大幅な減便を余儀なくされているためだ。だから飛行機雲もしばらく見ていない。
初夏のある日、作者は飛行機雲を「久々」に見たのだろう。その感動を上五に託し、単語のみ並べて何も語らない。「飛行雲」と変に省略しなかったのも好感が持てるし、中七を「や」で切るのも作者の好みが出ていて、とても気持ちの良い句だ。
(双 20.06.15.)