蘇る昭和の苦楽草の餅 前島 幻水
蘇る昭和の苦楽草の餅 前島 幻水
『この一句』
大東亜戦争と呼ばれた第二次大戦下の息苦しさ、敗戦後のひもじさを経験した人間には「ほんとにそうですねえ」と共感を抱かせる句である。
草餅はウルチ米を粉にした上新粉を蒸し、茹で上げた蓬の葉を搗き込んで再度蒸して作る。米が配給時代の戦中戦後の都会の家庭では滅多に作れるものではなかった。運良く闇米が手に入って、お母さんが草餅を作ってくれるということになると、家中競ってヨモギの若葉を摘み、唾を何度も飲み込みながら出来上がりを待ちかねたものだった。
私の誕生日は6月1日で、その日のためにと、昭和20年の5月、母がどこからか米と小豆と砂糖を手に入れ、「お誕生日には久しぶりに牡丹餅を作ってあげますよ」と言った。指折り数えて「あと三日」の5月29日に横浜大空襲。我が家は丸焼け。幻の牡丹餅がその後長い間夢に出て来た。
空襲や疎開、空腹、栄養失調等々の苦しみの中で思い描いたのが季節の食べ物。その形、色、香り、味を思い出しては「食べた気」になったものだ。何かのはずみで砂糖の配給があった時などの一家中の喜びは大変なものだった。そうした思い出が一度に湧き上がって来る句である。
(水 20.05.18.)