身の程の桜を選ぶ花見かな 塩田 命水
身の程の桜を選ぶ花見かな 塩田 命水
『合評会から』(番町喜楽会)
青水 これも時事句ですね。上五、中七の表現の巧みさに脱帽いたしました。コロナ蟄居の副産物でしょうか。
綾子 共感します。全国に有名な桜はありますが、近所の名もない桜で花見ができれば十分です。
満智 「身の程の桜」という表現に引き付けられました。一茶の「めでたさや中位なり…」に通じるものを感じます。
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私も「身の程の桜を選ぶ」という言い方に感じ入った。一山を支配するような豪華絢爛なソメイヨシノの大樹は、どうも圧倒されてしまう感じがする。山桜の老樹は古武士の風格で気圧されてしまう。ピンクがかった河津や彼岸はけばけばしく趣味に合わない。花の名所でなくてもいい、梢の高さが三メートルほどで、それなりの枝振りに僅かに紅をさした白っぽい花を咲かせた桜にいたく心惹かれた、というところだろうか。作者の心ばえもしのばれる。
(水 20.05.11.)