春雨やまだ底冷えの一人鍋 山口 斗詩子
春雨やまだ底冷えの一人鍋 山口 斗詩子
『合評会から』(番町喜楽会)
二堂 春になっても寒い日が多い。一人で鍋をつつく虚しさがうまく表現されている。
春陽子 寒の戻りの様な時期、寒々とした家で一人鍋ですか、これ以上の寂しさはありませんね、それでも惹かれる句です。底冷えの一人鍋がいいのですかね、人生ですね。
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急に夏の気温になったかと思えば真冬の冷え込みに戻る、不安定な晩春の季節感を実にうまく詠んでいる。「まだ底冷えの」という措辞が絶妙だ。「一人鍋」とあるから、伴侶を亡くされた方であろう。これが底冷えと呼応して雰囲気を掻き立てている。
春雨という季語で句を詠むと、ともするとロマンチックな幻想に引きずられてふわふわした句を作りがちだ。それをこのように、自らが置かれた状況を淡淡と、しかも、厳しい現実を踏まえて詠んでいる。なかなかのものだと思う。
(水 20.05.03.)