ウィルスの寄せ来る気配春の闇  斉山 満智

ウィルスの寄せ来る気配春の闇  斉山 満智 『この一句』  新型コロナウィルスで生活の在り様が大きく変わった。家に帰るなり「手を洗え」「嗽を忘れるな」「洋服には除菌スプレーを」…。テレビも新聞も「昨日は感染者が何人、死者が何人」などという報道に明け暮れている。そういう世の中だけに、春の闇にウィルスが寄せ来る気配を感じ、怯える心はよく分かる。  コロナウィルスは本当に怖い。こんなに始末の悪い疫病はない。感染の恐れが強いので、家族でも死に目に会えないのだから。「満足な葬儀もできず…」という話も伝わっている。目下のところ、治療薬もワクチンもない。そんなことを思いつつ歩いている夜更け、生暖かい風にでも吹かれれば、身の毛もよだつかもしれない。  「春は朧」などと優雅に句をひねっている中はいい。だが、朧が消え、闇が深まり、魑魅魍魎が動き出すと、とてつもない惨禍を引き起こす。コロナウィルスもそのひとつ。それにつけても、1世帯にマスクを2枚づつ配って何百億円とかいう愚行にも、うすら寒い想いがする。「アベノマスク」ならぬ「阿呆のミクス」、くわばらくわばら。 (光 20.05.08.)

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土の香が重く漂ふ朧かな     岩田 三代

土の香が重く漂ふ朧かな     岩田 三代 『季のことば』  繊細微妙にして複雑な晩春の宵の風情を、嗅覚を頼りとして詠んだ珍しい句である。春雨の止んだ後の、まだ何も植えていない菜園は黒々とした土が温みのある香を立ち昇らせ、低く地表を漂う。暮れなずむ頃合いの散歩の、道の辺の畑と取っても良かろう。朝から昼のもやもやとした空気は「霞」であり、それが夕闇になる頃には「朧」と呼ばれるようになる。どちらも朦朧として、ともすれば気だるさをもたらす。  春になって気温が上昇するにつれ、冬の間は気にも止めなかった土の香が感じられるようになる。ましてや耕された土は盛大に呼吸する。土中に潜んでいたウイルスやバクテリアが一斉に活動し始める。それを食べて太る細菌や微生物、それを捕食する目に見えないほどの虫、さらにそれを糧とする地虫など、蟄居していた虫たちが一斉に動き始める。それを目がけて蛙や蜥蜴や蛇や小鳥たち。それを追い掛ける鼠や鼬や狐や狸や、さらには猪、熊などが・・。  その頂点に君臨するヒトは、目に見えぬウイルスに怯え震えている。「何でも出来る」という己惚れが咎められたのだ。もう一度、本源に立ち戻って、「土の香」を胸一杯に吸い込んでみるのがいいようだ。 (水. 20.05.07.)

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ようそろと父の声聞く朧の夜   池村実千代

ようそろと父の声聞く朧の夜   池村実千代 「この一句」  句を見てすぐに選ぶと決め、幹事には次の短評を送った。「船乗りだった父の遥かな声。“ようそろ(直進)”に粛然とする」。作者の悩み、惑いに対する父の「真直ぐ進め」の声・・・。父上は船乗りだったのだろうと思ったが、確証はない。メールで作者に確かめたところ「海軍の軍人だった」との返信があった。  「ようそろ」は「宜候」と書き、「(船の)進路はそのまま」つまり「曲がらずに行け」を意味するとされる。胸に双眼鏡を下げて甲板に立ち、海原を見つめる軍人の姿が浮かんで来る。父上は南方の海で戦い、生死の境さ迷うような体験を何度か経て来られたに違いない。  戦後生まれの作者は父の晩年、亡き戦友たちの慰霊の旅に何度も同行し、戦争に関わるさまざまな思いを胸に刻んで来た。朧の夜、作者の耳に亡き父の「迷わず行け」という言葉が聞えて来る。世の中が厳しい状況に置かれている今、さまざまな「ようそろ」が存在することも分かってきた。ついでながら、ご主人とヨットに乗った時の「ようそろ」もあるそうである。 (恂 20.05.06.)

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おぼろ夜を骨折老人ぼっち酒  藤野 十三妹

おぼろ夜を骨折老人ぼっち酒  藤野 十三妹 『この一句』  この作者の詠みっぷりには長年振り回されっぱなしである。「そういうデタラメな言葉遣いはいけません」と言うと、「真に申し訳ございません」と低頭しながら、また堂々と奇想天外な言葉を散りばめた句を寄せて来る。高度成長時代の新聞・テレビ華やかなりし頃、大手広告代理店のコピーライターとして活躍した女傑。「差し詰め日本語を壊した元凶の一人というわけだな」と言えば、「あはは」とコップ酒を呷っている。  何しろ自分勝手な造語を無闇矢鱈に振り回すから、句意を汲み取るにはその造語の解釈から取りかからねばならない。大概は分からずにお手上げになる。  この句はそうした中ではまともな方である。「ぼっち酒」という乱暴な言い方がこの句の眼目。一人ぼっちで酌む酒は、酒の良し悪しがよく分かる。含んで口中を転がしながら吟香を楽しみ、味わい、「これはいいなあ」などとつぶやく。その辺までは至極まともなのだが、「骨折老人」まで出すところが十三妹流。自らを徹底的に貶める自虐によって面白味を生み出す。これぞユーモア精神の真髄であり、俳諧である。足をちょっと挫いたくらいで身も世も無く大げさに歌い上げる。これがまたフアンを喜ばせる。 (水 20.05.05.)

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米農家継ぎに帰る子春の雨    谷川 水馬

米農家継ぎに帰る子春の雨    谷川 水馬 『季のことば』  的はずれには違いないだろうが、劇団民藝の舞台を見るような光景だと、ひとしきり思った。宇野重吉か大滝秀治扮するオヤジのもとへ、都会に出ていた息子が突然帰郷し百姓を継ぐと言い出した一場かと。民藝の農民劇なら明るいホームドラマとはいくまい。プラザ合意とバブル崩壊後の離農が多かったという。現在も米農家は長年の“ノー政”のツケに翻弄され続けており、何ヘクタールもの水田を持たない農家の経営は楽ではない。この息子が米農家を継ぎたい、あるいは無理に継がされるのには、どんな理由があるかは読者には分からない。ただ、オヤジが手放しで息子の帰郷と後継確保を喜んでいる雰囲気は薄いように感じる。  鹿児島生まれの作者は、どこでこの一場面を見たのか聞いたのか、興味が湧いてこの句を採った。不況による解雇か、東京のコロナウイルスからの逃避か、その両方とみればこの時節を詠んだ時事句の秀作といえる。なにより、場面がすっと入って来る。そこに春の雨が降っているという。俳句の世界では「春の雨」と「春雨」を区別していて、春の雨は陰暦二月初めまでのやや冷たい雨を言うらしい。なるほど、作者は暖かい雨ではない微妙な雰囲気を詠んだものと思った。 (葉 20.05.04.)

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春雨やまだ底冷えの一人鍋   山口 斗詩子

春雨やまだ底冷えの一人鍋   山口 斗詩子 『合評会から』(番町喜楽会) 二堂 春になっても寒い日が多い。一人で鍋をつつく虚しさがうまく表現されている。 春陽子 寒の戻りの様な時期、寒々とした家で一人鍋ですか、これ以上の寂しさはありませんね、それでも惹かれる句です。底冷えの一人鍋がいいのですかね、人生ですね。        *       *       *  急に夏の気温になったかと思えば真冬の冷え込みに戻る、不安定な晩春の季節感を実にうまく詠んでいる。「まだ底冷えの」という措辞が絶妙だ。「一人鍋」とあるから、伴侶を亡くされた方であろう。これが底冷えと呼応して雰囲気を掻き立てている。  春雨という季語で句を詠むと、ともするとロマンチックな幻想に引きずられてふわふわした句を作りがちだ。それをこのように、自らが置かれた状況を淡淡と、しかも、厳しい現実を踏まえて詠んでいる。なかなかのものだと思う。 (水 20.05.03.)

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寂寞と春の夜更けてポトフ煮る  中嶋 阿猿

寂寞と春の夜更けてポトフ煮る  中嶋 阿猿 『この一句』  いきなり寂寞という硬い言葉で詠み出す。寂寞は「せきばく」「じゃくまく」と読み、ひと気がなく物寂しいさまをいうが、日常的にはまず使わない。これは詩語として用いているから「じゃくまく」と読ませようというのかも知れない。とにかく新型コロナ感染拡大防止のため緊急事態宣言が出された前後の作品。外出自粛で日本中が逼塞している時だ。  いつもなら夜桜見物に出かけたり、馴染みの店で飲食を楽しむところだが、値千金の春の宵も家に籠らざるを得ない。花冷えに加えて、人通りも絶えて気も滅入る。それなら気分を変えてポトフでも煮るか。そんな情景であろう。  戦後最大の厄災といわれ、異例の事態に不安が募る。そうした内心を寂寞という硬質な言葉で表現し、「ポトフ煮る」という温かみのある言葉で和らげる。ちょっとお洒落なコロナ蟄居句だ。 未知のウイルスとの戦いは長引く見通し。家籠りが続くと、毎日のメニューにも頭を悩ませる。幸い時間はたっぷりある。いろんな野菜を牛肉やソーセージと煮込んだポトフは、身体や心を温めるだけでなく、免疫力も高めてくれそうだ。 (迷 20.05.01.)

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