遅き日や窓辺の富士のシルエット 工藤 静舟
遅き日や窓辺の富士のシルエット 工藤 静舟
『季のことば』
春の夕暮れ、窓辺に寄って影絵のような富士を眺めている。ただそれだけをさりげなく詠んだもので、それがどうしたこうしたなどと余計なことを一切言わない。しかし、なんとも悠々たる感じがする。まさに春日遅々として暮れかねるという、季語の気分をじっくり味わうにふさわしい句だ。
「遅き日」(遅日、暮れ遅し)は「日永」と兄弟姉妹のような季語。「日永」が「日が長くなったなあ」という、のどかな春の日を喜ぶ風情に重きが置かれているのに対して、「遅日」は暮れるのが遅いという日暮れ方の気分に力点が置かれている。兄弟似通った所が多いが、微妙に異なるところもある。そんなことから「日永」と「遅日」はわざわざ別立ての季語になっている。
窓辺にもたれて黒く沈んで行く富士を眺めるのはやはり、「日永」ではなく「遅き日」ということになる。時間で言えば、三月末から四月中旬あたりならば午後五時半頃か。忙しい主婦は別として、夕飯前のちょっと中途半端な時間帯でもある。こんな時には影絵の富士に触発されて、しばしば昔の思い出にふけったりもする。
(水 20.04.14.)