朝日射し大願成就猫の恋   後藤 尚弘

朝日射し大願成就猫の恋   後藤 尚弘 『季のことば』  「猫の恋」は早春の季語。牝を得ようと猛り狂う牡が唸り声をあげ一晩中徘徊する。近ごろは地球温暖化の影響か、野良猫にも栄養が行き渡ったせいか、猫の恋の季節が晩秋から晩春まで半年近く続くようになった。それでもまあ山場は一月から四月初め。というわけで三春の季語とするのがいいかもしれない。  わずか十七音字に、詩的感興を盛り込みつつ、句意を分かり易く伝えるのが俳句の難しさ。この難事に取り組む作り手の姿勢には三つの型がある。一つは「分かってくれる人が分かってくれればいいんだ」という意固地派で、謎々か暗号のような句を作る。第二は、「取り合わせ」とか「二物衝撃」という、二つの一見無関係の事物を並置し、その響き合い、繋がり具合に含蓄をはらませる詠み方で、これも時々独りよがりの取り合わせ句が出て来る。第三は、五・七・五の枠内で何とかして分かり易い句を作ろうと苦労する実直な保守派。  この句、第三の型と言えようか。詠み方としては王道なのだが、やはり「朝日の射すころようよう大願成就」と順序を追って述べ「説明調」に陥っている。言葉を入れ換えて「恋猫の大願成就朝ぼらけ」などとするのは如何か。(水)

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はしきれでマスクを縫ひて暖かし 池村実千代

はしきれでマスクを縫ひて暖かし 池村実千代 『この一句』  マスクは冬の季語だが、今は花粉症対策やインフルエンザ予防もあり、4月くらいまでは使用する人が多い。さらにこの春は新型ウィルス禍で品薄となり、一躍主役に躍り出た生活必需品である。つまり、冬の季感はすでになく、極めて今日的な一般名詞と言える。  そのマスクを甲府市の中学生が、お年玉などで布を購入し手作りしたマスク約600枚を山梨県に寄付した、と先日報じられた。「この一枚が皆様のお役に立ったら嬉しいです!」とのメッセージ付で高齢者施設などに配られたそうだ。掲句を一読してこの話が浮かび、暖かな気持ちになった。  一方、使い捨てマスクをネットオークションで高額で売りさばき、900万円近くを売り上げた県議がいた。咎められると「転売した訳ではないから悪いことはしていない」などと嘯く始末。有事の際にこそ人間性が問われるというが、国政を預かる者や首長の言動も今、試されている。  この春の「暖か」に相応しい一句と思うが、5年後にはこの句は意味不明になるやも知れない。「新型コロナ禍で」とでも前書を付けておくのはどうだろう。 (双 20.04.06.)

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通勤のペデストリアンデッキ暖かし 旙山芳之

通勤のペデストリアンデッキ暖かし 旙山芳之 『この一句』  都市住民にとって「ペデストリアンデッキ」は必要欠くべからざる建築物であり、日ごろ何気なく便利に利用しているにもかかわらず、この名前は案外浸透していない。そのせいもあろう、この句も気の毒に句会で埋もれてしまった。  大きな駅やスタジアムに併設されている歩行者専用の高架構造物の呼称である。広い道路を渡るだけが目的の歩道橋と異なり、駅と駅前広場に面した大きないくつもの建物の二階を結ぶ、遊歩道と広場を兼ねた空中回廊。高度経済成長時代の73年(昭和48年)、国鉄柏駅東口に生まれたのが元祖と言われ、役所用語では「歩行者専用嵩上式広場」という。その後、関東近県はもとより全国各地の主要駅前にペデストリアンデッキが続々と生まれた。近ごろはベンチや植え込み、トイレのあるデッキもあり、イベント広場まで備えたものもある。  この句はペデストリアンデッキが結ぶデパートや飲食店を横目に通勤する、まさに今日的情景を詠んで斬新。季節外れの雪が降ろうが北風が吹こうが、ここなら大丈夫。しかし、帰り道は美味そうな匂いに釣られてつい寄り道してしまうのが難点である。 (水 20.04.05.)

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花ぐもり骨董店に上がりこみ    岡本 崇

花ぐもり骨董店に上がりこみ    岡本 崇 『この一句』  骨董とそしてまた俳句に興味を持つ一人として、句を見て「なるほどなぁ」と頷いた。これは実に花曇りの一日の雰囲気である。暖かくなっては来たが、スカッと晴れ渡っているわけではない。その何とも言いようのない花盛りの一日なのだ。家に籠ってテレビを見て過ごすような陽気ではない。ともかく桜でも眺めに行くか、と家を出る。  折からのコロナウィルスとの関係か、駅前から伸びる桜通りも人通りはまばらである。昨年、一昨年と比べてみると、浮き立つ思いは薄い。たまに覗く骨董店を覗いてみた。親父はいつにない愛想笑いを浮かべ、「ちょうどいいのが出まして」と座布団を勧める。出された江戸末期のぐい飲みを小机に載せ、しばらく眺めながら考えた。  この雰囲気、何となく花曇りに合っている。楽しくもあり、楽しくもなし。俳句の取合せは難しくもあり、簡単でもある。一時期流行った二物衝撃も、分かったようで、分からぬ面がある。花曇りと骨董店での時間つぶし。これも一つの取合せと思うのだが、この句を分かってくれそうなのは、彼と彼くらいのものかな・・・。作者はまた腕を組む。 (恂 20.04.03.)

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酔しれてニンフの誘ひ春の闇   池内 的中

酔しれてニンフの誘ひ春の闇   池内 的中 『この一句』  三月句会がコロナ禍でメール句会になってしまい、作者の弁が聞けなかったのが残念だったが、実になんとも呑気で、うららかで、少し危なっかしい半平太である。「こういう経験は過去、多々ありましたが、楽しい夢はすぐ覚めて現実に引き戻されます」(命水)という句評が寄せられ、善良なる小市民であることが明らかになって、思わず笑い出してしまう。  今やその小市民は「密閉・密集・密接のバーやナイトクラブ、酒場には行かないように」と言われている。「へんっ、アベカワモチにツケマツゲのばばあにそんなこと言われたくねーや」(筆者が言っているのではない。買物に出かけた街中で小耳に挟んだ言葉である)。とにかく、元気な中高年サラリーマンは「自粛、自粛」にうんざり、鬱屈している。  この句は二月下旬の作品。つまり横浜港にコロナ船が入港して大騒ぎになったものの、地上ではまだまだ平安な春の宴が繰り広げられていた頃である。「くよくよ」「鬱々」「いらいら」といった言葉が溢れる今、この句を改めて読むと、「いいなあ」とつぶやいてしまう。わずか二ヵ月前が遠い昔のようだ。 (水 20.04.02.)

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撥ねて散る洗車の水の春もよう  岡田 鷹洋

撥ねて散る洗車の水の春もよう  岡田 鷹洋 『合評会から』(酔吟会) 涸魚 水のしぶきの中にきらめく春の光が目に見えるよう。 道子 春らしく軽やかに水が跳ねる風景が見え躍動感がある。 睦子 汚れを流した水が陽を浴びて光る、気持ち良くきれいな句。 春陽子 撥ね散る水を「春もよう」と捉えたところが素晴らしい。        *     *     *  この日の句会はコロナウイルスのせいでメール句会となった。当然、句評もメールで送信されたわけだが、悔しいのであえて「合評会」が開催されたような体裁にしてみた。  作者によれば、散歩の途中で“おっさん”が腕まくりをして、せっせと愛車を洗っているのに出合ったとのこと。暖かな陽気で撥ねる水さえ嬉しそうに見え、作者自身も春が来たことを実感したという。  句に表現されたものは、水を「春もよう」と捉えたことで、春の到来に浮かれた気分というよりは、もっと繊細な喜びをあらわしているようにみえる。少し沈んだ世相だからこそ、こういう明るい句に救われる気がする。 (可 20.04.01.)

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