縫ぐるみ脱ぐ春の日の暮るる頃 今泉 而云
縫ぐるみ脱ぐ春の日の暮るる頃 今泉 而云
『この一句』
筆者は以下のようにこの句を評して選句した。『子ども向けのイベントが終わり、戦隊ヒーローか動物か、着ぐるみから人が出てきた。これも春の長閑な一日の終わりを告げる光景。「縫ぐるみ」という俳句になじみの薄い小道具を持ってきたのが新鮮だ。「暮るる頃」の下五も効いている』と。
後でこの解釈は違うのではないかと思い直している。「縫ぐるみ」は「着ぐるみ」の間違いであるとの前提で、まさしく遊園地かショッピングセンターの催しの終演後を想像していたのだった。いや、待て、作者は間違いなく「縫ぐるみ」と「着ぐるみ」の違いを分かって縫ぐるみを詠んだのではないだろうか。そう読み直すと、そこにファンタジーの世界が広がって来た。着ぐるみからよりも、小さな縫いぐるみから人が出てきた方が「春の日の暮るる頃」の夢幻を表してうなずける。女児は人形に人格を与え、ときには自分と同化する風も見られる。幼い女の子が縫ぐるみと遊び疲れて、眠たくなる黄昏時。縫ぐるみの中に入っていた自分が、それを脱いで出て来た情景と読めば、なんとシュールな一句だと思うのである。荒唐無稽と言われようが、句の解釈の翼を広げる自由はあろう。折り目正しい作者である先生は一笑するかも知れないが。
(葉 20.03.29.)