公園に絵描き現れ日永かな 植村 博明
公園に絵描き現れ日永かな 植村 博明
『この一句』
なんともないありふれた光景を、なんともなく詠んだと言えばそれもそうだ。日没が早く、キーンと冷え込む冬が終わった日永の公園。絵描きとおぼしき人がやってきた。イーゼルを抱えていなくても画帳を手にしているので、この公園に絵を描きに来たのだと見定めた。作者はベンチに座っていてこの人物の登場を眺めている。舞台劇の幕開けのようなワンシーン。これから何が始まるのか、展開に興味津々といった客席の静まりを見るような気がするのは評者の妄想だろうか。
公園を一つの舞台として、この先の展開を妄想させるこの句が気になった。男か女か絵を描きたい人が、やおら画帳を開いてスケッチを始めただけよ、と詠んだだけかもしれないのだが。評者がさらに妄想を膨らませるのをお許し願いたい。
「百万本のバラ」というラトビア発の歌謡曲がある。貧乏な画家が恋した女優の住む窓辺の広場を、百万本の紅いバラで埋めたという歌はカラオケでよく歌われているが、ふとその情景を思い浮かべてしまった。
(葉 20.03.16.)