マスク掛け囲碁長考の日永かな 澤井 二堂
マスク掛け囲碁長考の日永かな 澤井 二堂
『季のことば』
厳しい冬が去って春になると、日が永くなったことに気付く。日照時間が最も長くなるのは夏至の頃なのだが、気分的に「日が永くなった」ことを実感するのは春である。というわけで「日永」は春の季語になった。
一方、「マスク」はもちろん現代俳句になってから立てられた季語だが、これは冬である。ところが近ごろは花粉症防護のために春に使われることが多くなった。そして、令和二年の春はコロナウイルス流行によって、「春のマスク」が町の景色になった。しかし、俳句では依然として「マスクは冬の季語」である。ということからすると、この句は「日永」という春の季語と、「マスク」という冬の季語が同居した、「季節違いの季重なり」という悪い形になっている。
しかし、世の中教科書通り運ぶものではない。春になってもマスクが必需品の今年、こう詠んで悪い事は何も無い。むしろ令和二年を思い出す句になる。
上手は上手なり、下手は下手なりに長考は付き物。これはどうやらヘボ碁のようだが、実にのんびりした空気が漂い、「日永」の気分を遺憾なく伝えている。
(水 20.03.09.)