鉄屑の匂ひ春めく町工場 廣田 可升
鉄屑の匂ひ春めく町工場 廣田 可升
『この一句』
鉄屑は独特の匂いを発する。しかし、そんなことを知っている、というか、経験している人はそれほど多くはないだろう。赤錆びてしまった鉄クズにはさしたる匂いは無いが、○○鉄工所などと素っ気ない看板を掲げた町工場で、唸る旋盤や切削工具から生き物のように削り出される銀色に輝く鉄クズからは、奇妙な匂いが湧き立つ。青年の発する青臭さとでも言ったらいいだろうか。
昭和三〇年代後半、社会部の航空担当記者になった。羽田空港拡張にからむ取材で、蒲田から羽田にかけて沢山ある町工場を取材して「鉄の匂い」を嗅いだ。その地域では年中、鉄屑や機械油の臭いが漂っていたのだが、この句を見て、そう言われれば春先にはことに匂っていたなあと思い出す。
「何ぃ、羽田拡張? いいじゃん。それはいいけどよ、その前の道を何とかしてくれと、お偉いさんに言ってくれよ」。町工場のオッサンの言う工場前の道は未舗装の砂利道で轍がくぼんでガタガタだった。そんなオッサンたちの汗の結晶が高度経済成長をもたらした。今やその辺りはすっかり整えられ、ビルが建ち、鉄屑の匂いもしなくなっている。
(水 20.03.03.)