塗椀に蛤汁のうすにごり     星川 水兎

塗椀に蛤汁のうすにごり     星川 水兎 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 「うすにごり」の措辞が素晴らしいと思います。万太郎の「うすあかりも」素晴らしいが、この「うすにごり」は蛤汁の旨さを感じさせます。 てる夫 神楽坂あたり、ちょっと小粋な料理屋でしょうか。器に気を遣い、肴にうるさい調理人。椀汁は蛤の旨味たっぷり、「冷酒をもういっぱい」といきたいところ。 幻水 美しい漆椀でしょうね。蛤のすまし汁の美味さが想像されます。 可升 家庭で作る蛤汁はにごっています。「塗り椀」の色艶と、「うすにごり」の乳白色を対比させた視覚に訴える句ですが、背後から香りも立ってきます。にごりの旨味が美味しそうです。       *     *     *  多分、朱色の漆塗りのお椀の中に大粒の蛤がいくつか、という光景。「うすにごり」というのは視覚による表現だが、蛤汁の味覚、美味しさを感じさせる的確な言葉でもあり、舌なめずりしたくなる。お椀には木の芽か菜の花か、緑色の菜も顔を出していて、きれいな小世界をつくっている。雛祭りでしょうか、それとも喜寿などのお祝い事でしょうか。「えっ、昨日の夕ご飯?」 なんと贅沢な…。 (光 20.03.08.)

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雛祭ふたりで祝う家となり    須藤 光迷

雛祭ふたりで祝う家となり    須藤 光迷 『季のことば』  雛祭は3月3日の桃の節句に、女児の健やかな成長を願って行われる行事。お雛様に桃の花を飾り、白酒や菱餅を供えてお祝いする。春の季語であり、歳時記には「桃の節供」や「内裏雛」、「雛あられ」など関連する季語が30以上並ぶ。  主役は雛飾りと女の子。女の子が生まれると初節句のお祝いにお雛様を買う家は多い。小さな内裏雛セットから豪華な段飾りまで多種多様なものが売られている。代々伝わる雛道具を出して祝う旧家もある。句に詠まれた家では、娘さんが嫁ぐか就職して夫婦だけとなり、残された二人がお雛様を飾って祝っている。子供がいなくなった淋しさと、育て終えた安ど感がにじむ。  芭蕉に「草の戸も住替る代ぞひなの家」という有名な句がある。初案の「住替る世や」を変えたと伝わる。時の流れ、世代交代を意識したものであろう。掲句も淋しさを詠んでいるだけではない。「ふたりで祝う家」とう言葉からは、子供の成長・独立を一家の世代交代ととらえ、二人だけの暮しをこれから大事にして行こうという思いも伝わってくる。 (迷 20.03.06.)

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梅二本早や満開の老い始め    大平 睦子

梅二本早や満開の老い始め    大平 睦子 『季のことば』  梅はもとより初春を代表する季語である。百花に先駆けて咲くから古歌では「花の兄」とか「春告草」とも歌われている。「探梅」という冬の季語もある。これは何とかして人より先に梅の咲くのを見つけようと、立春の前に梅林をほっつき歩く物好きの行動を言ったものである。  この句の作者はゆったり落ち着いて、腰を据えて満開の梅を眺めている。「今年はいつになく咲くのが早いなあ、もう満開だわ」とつぶやいている。満開の梅は実に美しい。付近には花はおろか木の芽も出ていないから、ことさら目立つ。『二もとの梅に遅速を愛すかな』の蕪村句を思い浮かべながら、「この二本は競争するように同時に満開になっちゃった」「でも、満開となれば後は散るばかりよね」と、「老い始め」なる下五を付けた。  そういう流れからすると、何となく淋しいうらぶれた感じの句になるはずなのだが、この句は全然そんな感じがしない。至極当然の成り行きを詠んで淡淡としているのだ。この辺りが常に泰然自若たる作者の真骨頂である。 (水 20.03.05.)

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チョキチョキと園丁鋏日永かな  加藤 明生

チョキチョキと園丁鋏日永かな  加藤 明生 『合評会から』(日経俳句会) てる夫 「チョキチョキ」が全てを説明している。実景がすぐ想像できる。 三代 暖かくなって庭仕事を始めたのだろう。「日永」と「チョキチョキ」がいい。 悌志郎 仕事をしているのはプロかアマか。それによって日永の感じ方が違うと思いますが、どちらだろうか。 而云 「園丁鋏」という言葉はあるのか。植木屋さんが使う植木鋏なのか。庭師の使っているのをいうならプロということになるが、多分造語だろう。           *       *       *  このところ暖かな日が続き、近所でも住民が庭仕事をしている姿が目につくようになった。日が永くなったので、遅くまで作業に没頭できる。鋏を使うリズミカルな音は春の訪れを囃しているようでもあり、まことに心地よい句だ。  片手で使う小さい鋏は園芸鋏とか剪定鋏で、両手を使う柄の長いのは苅込鋏と呼ばれる。聞き慣れない「園丁鋏」は而云さんの言うとおり造語かもしれない。園丁は庭仕事を生業としている人のことなので、この句の主人公はプロかもしれない。悌志郎さんの評はその辺りの機微をついていて、想像力がふくらむ。 (双 20.03.04.)

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鉄屑の匂ひ春めく町工場     廣田 可升

鉄屑の匂ひ春めく町工場     廣田 可升 『この一句』  鉄屑は独特の匂いを発する。しかし、そんなことを知っている、というか、経験している人はそれほど多くはないだろう。赤錆びてしまった鉄クズにはさしたる匂いは無いが、○○鉄工所などと素っ気ない看板を掲げた町工場で、唸る旋盤や切削工具から生き物のように削り出される銀色に輝く鉄クズからは、奇妙な匂いが湧き立つ。青年の発する青臭さとでも言ったらいいだろうか。  昭和三〇年代後半、社会部の航空担当記者になった。羽田空港拡張にからむ取材で、蒲田から羽田にかけて沢山ある町工場を取材して「鉄の匂い」を嗅いだ。その地域では年中、鉄屑や機械油の臭いが漂っていたのだが、この句を見て、そう言われれば春先にはことに匂っていたなあと思い出す。  「何ぃ、羽田拡張? いいじゃん。それはいいけどよ、その前の道を何とかしてくれと、お偉いさんに言ってくれよ」。町工場のオッサンの言う工場前の道は未舗装の砂利道で轍がくぼんでガタガタだった。そんなオッサンたちの汗の結晶が高度経済成長をもたらした。今やその辺りはすっかり整えられ、ビルが建ち、鉄屑の匂いもしなくなっている。 (水 20.03.03.)

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堰越えの水の膨らみ冬をはる   廣上 正市

堰越えの水の膨らみ冬をはる   廣上 正市 『おかめはちもく』  灌漑用水路に堰を設けて水流を右や左に分岐したり、水位の高い方に送ったりする堰堤(えんてい)は稲作に必須の技術である。用水路には大、中、小たくさんの堰がある。高さ十五㍍を越すダムを大元とすれば、田畑の近くの小川のような流れの堰までさまざまだ。この小さい堰は、田植の前に「堰上げ」をする。堰の上に稲藁や石を積んで嵩上げし、水位を上げて全ての田圃にくまなく灌漑水が行き渡るようにする。堰より高い方向の水路にも灌漑水が流れる様は見事である。  さてこの句だが、「冬をはる」とあるから当然、冬から春にかけてのことだろう。しかし春先は渇水期であり、堰を越える水というのは、どうも合点がいかない。私の住む上田市塩田平の農耕地は米と麦の二毛作が中心。いま春先の田圃は葉を伸ばし始めた麦が青さを増して目にやさしい。しかし田圃の周囲の用水路に水は無い。季節が進んで田植前になると灌漑水が行き渡る。「堰越えの水の膨らみ」は田圃の息吹を感じさせるわくわくするような景色だが、もう少し先のことである。この句は下五「冬をはる」を改めて「堰越えの水」という素晴らしい措辞を生き返らせてほしい。 (て 20.03.02.)

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蕗の薹みどりに光る道の駅    久保田 操

蕗の薹みどりに光る道の駅    久保田 操 『この一句』  この一句の評価のポイントは、中七の「みどりに光る」にある。上五の「蕗の薹」とは軽く切れ、下五の「道の駅」に続くと読んだのだが、「蕗の薹」が「光る」ようにも取れるからだ。そこで上五を「楤の芽」にして切れの「や」を入れ、「楤の芽や緑の光る道の駅」のようにすれば、誤解される懸念はなく、納得されやすいだろう。  いずれにせよ、目に浮かんだのは週末の道の駅。店頭の春野菜を覗き込み、籠に入れていく人の群れである。菜の花に三つ葉、独活、芥子菜、ブロッコリー。アスパラガスや筍が出ているかもしれない。場所によっては蕨やゼンマイなど山菜の束も。春を迎えて芽吹き、生長し、滋養たっぷりの野菜が光り輝いている。  蕗の薹も、道の駅のものとなれば色鮮やかで香高く、すっと手が出てしまう。「まず天婦羅にし、余りが出れば蕗味噌に。いや、二パック買おう。大した金額ではないし、都会のスーパーに比べれば格安」などと素早く計算して…。海に近い道の駅ならば、白子や鯵、烏賊あたりが手に入るかも。道の駅は、超新鮮な食材の宝庫なのだ。 (光 20.03.01.)

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