タラップを降りて離島の風光る  廣田 可升

タラップを降りて離島の風光る  廣田 可升 『季のことば』  「風光る」は明治以降によく詠まれるようになった季語で、水牛歳時記によれば「春になると日光が力を増し、ものみな輝いて見えるようになる。すべてがまばゆいような春の日に吹く風の様子」とされる。掲句は、おそらく観光で訪れたであろう離島で出会った春の風を詠む。  いきなり「タラップを降りて」と詠み出し、読者に場面と動きを提示する。タラップと言えば、船や飛行機を乗り降りする移動式の階段。離島と続けば、船も考えられるが、外に出た時に風を感じているので飛行機に違いない。  地方空港もジェット機の就航で近代化が進み、機体に横付けする形のタラップは小空港でしか見かけなくなっている。作者はプロペラ機に揺られてたどり着いた離島の空港で、タラップを降りた瞬間に春の光のきらめきと、爽やかな風を感じたのであろう。タラップの場面から、「離島の」と視線を広げ、季語の「風光る」につなげる。空港の周りに広がる海も見え、まばゆい春風が吹いてくる心地がする。五七五のリズムも良いが、視線の動きに応じた五三四五の破調で読んでも面白い。 (迷 20.02.17.)

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冴ゆる夜や難病の友良く語り   植村 博明

冴ゆる夜や難病の友良く語り   植村 博明 『この一句』  令和二年の初句会の兼題「冴ゆ」で、飛び抜けた九点を集めた一句。「日経俳句会月報」(2月5日付)でこの句を読まれた奈良・興福寺前貫首(現寺務老院)の多川俊映師から早速「佳い句だと存じます。(俳句会会長の)中沢豆乳さんの句評がすべてを表しているかと」との葉書が届いた。  合評会での豆乳評は「寂寥感が伝わる。優しい句だなと思った」と簡潔。「難病に負けない友人の気概と、友を想う作者の心情を季語が表している」(綾子)のほか、賛辞たくさん。読み込んでいるうちに、作者と友人との人間関係がしみじみと伝わって来た。  多川前貫首には昨年四月、双牛舎傘下の日経俳句会、番町喜楽会、三四郎句会合同の総勢二十七人で、三百年ぶりの再建なった中金堂見学に訪れてお会いした。豆乳会長とは仕事の上でのお付き合いがあり、本坊の大広間での講話と御薄を頂いた。鄭重なおもてなしを頂いた御礼の気持ちを込めて、毎月の日経俳句会月報と、年一回の会報をお送りしている。「俳句に気持ちが向いています」とおっしゃっていたのが忘れられない。 (て 20.02.16.)

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風光る前垂替へし笠地蔵     金田 青水

風光る前垂替へし笠地蔵     金田 青水 『合評会』から(番町喜楽会) 双歩 「地蔵」は句材としては古いですよね。またかぁという気はしたのですが、良かったね、お地蔵さん、という感じでしょうか。 木葉 よくある題材ですが、春の風景としていいかなぁと。 満智 誰が替えたかわからないけれど、お地蔵さんの前垂れが新しくなっている。春の風景としてとても感じ入りました。 斗詩子 道端のお地蔵さんの前垂れが新しく替えられたのだろう。春の日差しのなかで、その朱色が一段と映えてお地蔵さんが喜び微笑んでいるような気がする。           *      *      *  確かに、「お地蔵さん」や「道祖神」などを詠んだ句はたくさんある。新鮮な句材を扱った作品と違って類句、類想も多く、鑑賞のハードルは高くなる。とはいえ、お地蔵さんは親しみのもてる存在で、ある種の安定感があるのも事実だ。昔話を想起する「笠地蔵」と季語「風光る」が柔らかく呼応し、「こんなに点がいただけるなんて」と作者も驚く高点句となった。 (双20.02.14.)

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忖度も偽りもなく菫咲く     中沢 豆乳

忖度も偽りもなく菫咲く     中沢 豆乳 『この一句』  2017年2月に表面化した「森友学園問題」、続いて起こった「加計学園問題」。いずれも安倍晋三首相の意向を「忖度した」財務省や文部科学省などの官僚が、首相及び首相夫人の“お友だち”の希望を叶える形で、不公正な取り扱いを行ったとして、国会で追及され、国民は政治家と高級官僚に対して大いなる不信感を抱いた。追及が激しくなり隠し切れなくなると、「廃棄した」はずの資料が出て来るといった虚偽行為も次々に重なった。  この「忖度と偽り」事件はいつの間にか有耶無耶になり、安倍さんは日本政界史上最長不倒の総理大臣として、今度は「桜を見る会」に税金を使って自らの後援者らを招待した疑惑にさらされながら、相変わらず頑張っていらっしゃる。  この句はそうした現実をぐさりと抉った。しかも、その役を可憐な菫に振ったところがすごい。純粋無垢に咲いた菫をうたうことによって、「おべっかの忖度と虚偽にまみれた社会」を浮かび上がらせた。  あと5年もすると解説抜きでは理解出来なくなる恐れのある句ではあるが、この取り合わせはどきっとする。 (水 20.02.13.)

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風光る産着の中の小さき手    斉山 満智

風光る産着の中の小さき手    斉山 満智 『合評会から』(番町喜楽会) 豆乳 可愛い赤子の句はどうしても採っちゃうんです(笑)。「小さき手」をクローズアップしたのがとてもいい。 光迷 用語的には疑問もある。例えば「産着」の中の赤子の手は「小さい」に決まっている(笑)。でも、こういう論理も可愛らしさにはかなわない。 而云 いい句です。可愛らしい。「風光る」とよく合っています。 命水 産院で初孫と会った時、この句の通りでした。 斗詩子 ベビーカーの赤ちゃんの手の産毛が春の日差しにキラキラ。春到来の喜びが溢れた句。 満智(作者) 友人の娘の赤ちゃんです。とても大きかったらしいけど、産着の中の手は小さかった。写真で、ですけど。         *     *     *  「孫俳句はダメ」とよく言われるが、心地よい風光と可愛らしいものを取り合わされては、採らざるを得ない。「産着」「小さき」「手」という絞り込み方で可愛さが強調され、共感が増幅される。実に巧みな一句である。 (光 20.02.12.)

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煮え切らぬ男ぐつぐつおでん酒  嵐田 双歩

煮え切らぬ男ぐつぐつおでん酒  嵐田 双歩 『この一句』  この一句が目に入ったとき、最初はくすりとし、暫くして何とも切ない気になった。笑いを覚えたのは、屋台でも小料理屋でもいいが、決断できず、しきりに愚痴っている男の姿が目に浮かんだからだ。かなりの人間は身に覚えがあるだろうし、こういう同僚や部下に手を焼いた経験も思い返されるのではないか。  それが一転、切ない気分に変わったのは、この句が、友人の姿などではなく、社会時評では…と気付いたからだ。「煮え切らぬ」というのは、言を左右にして逃げ廻る無責任な、狡猾な擬態のことなのだ。例を挙げれば、慇懃無礼な答弁の官房長官であり、その同僚や上司、彼等がよく煮えたおでんで美酒を、という皮相な図なのである。  俳句の解釈は、読み手の自由である。ただ「ぐつぐつ」を「愚図愚図」に通じさせる言葉の使い方など、手練れの句であることは間違いない。世の中には、あちらを立てればこちらが立たず、の問題は多々ある。とはいえ、環境保全のための脱炭素化や世代間の不公平をなくす年金問題は、愚図愚図せず、すみやかに解決したいものだ。 (光 20.02.11.)

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億劫を押し退け出れば風光る   山口斗詩子

億劫を押し退け出れば風光る   山口斗詩子 『季のことば』  うららかな春の陽射しに万物がまばゆく眩しい感じになる様子を「風光る」と言い、初春から晩春を通しての「三春の季語」となっている。この「風」は、もちろん明るく柔らかな春風も指しているのだが、「風景」「風体」「風情」などと用いられるように、「様子、なりゆき」を意味する「風」の意味合いが多分にある。言ってみれば「春の気分」である。  というわけで「風光る」は二月初めの立春頃のまだ肌寒いけれども「風はなんとなく春の感じ」という時期にも使われ、桜花爛漫の晩春の「眠くなるような気分」にも使われる。つまり、取り合わせるモノによって雰囲気が随分変わる、賞味期限の長い季語である。  この句の「風光る」は言うまでもなく早春。寒い寒いと縮こまっている二月である。えいやっと思い切って外へ出たら、陽光燦々、実に気持がいい。いままで「億劫」という化け物に掴まっていたんだ、それを押し退けたら、こんなに気持の良い世界が開けたと、晴々と背伸びしている。これも元気な中高年オバサマの句である。 (水 20.02.10.)

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凧揚げて少年の夢老いの夢    今泉 而云

凧揚げて少年の夢老いの夢    今泉 而云 『この一句』  二月一日に開かれた番町喜楽会の初句会で、最高点を得た句である。春の風を受け大空を舞う凧に、自らの夢を重ねる少年と老人の姿を詠む。句は場面を語るのみで、二人の関係や夢の内容などは読者の想像に委ねている。 句会では孫と一緒の祖父をイメージした人が多かった。高く揚がった凧に孫の行く末を思い、幸多かれと祈る。あるいは老人が少年時代の夢を回想し、来し方を振り返っていると見た人もいた。凧に託して幼き夢と老成の夢を対比させたところに、それぞれの思いを重ねて共感したようだ。 凧揚げは昔は正月遊びの定番だったが、外で遊ぶ子供が減り、あまり見かけなくなった。ただ伝統の凧揚げ祭りを続けている地域は全国にあり、よく揚がる西洋凧の普及もあって、根強い人気がある。形を工夫して風を読み、大空を自在に泳がせる。凧揚げには男の子のロマンが詰まっている。作者によると自宅近くの広場で見かけた光景らしいが、意外にも凧を揚げていたのはお年寄りが大半だったとか。夢(ロマン)を失わない少年は、老人自身かも知れない。 (迷 20.02.09.)

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風光る蘭医育てし城下町     徳永 木葉

風光る蘭医育てし城下町     徳永 木葉 『この一句』  これは幕末に順天堂を育んだ佐倉を詠んだ句である。この日の句会には、「勝安房の築きし台場風光る」、「風光る桂浜には龍馬像」など、「風光る」の兼題で幕末にちなんだ句が多く出た。そういえば人気の少女漫画『風光る』も、沖田総司に恋する男装の隊士を主人公にした新撰組の話である(らしい)。  どうも「風光る」には幕末が似合うようだ。そう思って季語の本意を改めて尋ねると、「万物生動する季節に吹く風」(「水牛歳時記」)とある。門閥に拠らず、さまざまな階層の人士が生動した幕末は、なるほど「風光る」にはもっとも相応しい時代であると納得する。  作者は北海道生まれながら、ながく佐倉に住んでおられる。そうだとは知らなくても、この句の「育てし」には、「城下町」の風土や歴史に対する愛着の深さが感じられる。佐倉城趾には国立歴史民俗博物館もあり、これからの季節、天気の良い日に空堀や天守閣跡を散策すれば、春風駘蕩をまちがいなく満喫できる場所である。かく言う筆者は隣町四街道の住人。佐倉は折にふれ訪れる、ことのほか好きな土地である。 (可 20.02.07.)

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この店も木片人形春の色     堤 てる夫

この店も木片人形春の色     堤 てる夫 『この一句』  この句には前書が付いている。「農民美術百年展の上田で」と。だが、そう説明されても、大方の人は理解するのに苦労するに違いない。それは「木片(こっぱ)人形」がどういうものか分からないからだ。例えばこれが「博多人形」や「こけし人形」だったら、春光の中の人と店先の人形のイメージも湧いて来やすいだろう。  木片人形とは、木の切れ端に農民や子供の姿などを彫って彩色したもの。山本鼎というフランスに留学した画家が上田で創始し、全国に普及させた。その百周年美術展を上田市立美術館が2月下旬まで開催中で、市内の商店や飲食店など約40カ所にも木片人形が飾られている。掲句は、それ等を見ての感想である。  美術展には鹿児島や島根、伊豆大島の人形などが展示され、興味深かった。市内には恵比寿と大黒天の人形も。そうそう、陶器店ではスマートホンを手にした新作の人形が売られ、NHKの朝のドラマのモデルになったとされる陶芸家の作品も。ふと思った。写真と組み合わせた「カメラ句」なら、こんなに説明に苦労しないで済むかも、と。 (光 20.02.06.)

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