富士塚や四日の海も橋も暮れ 須藤 光迷
富士塚や四日の海も橋も暮れ 須藤 光迷
『この一句』
この句は令和二年一月四日の「東海七福神」吟行で詠まれた。富士塚は七番目の参詣場所となった品川神社の境内にある。季語は「四日」である。「元日」のみならず、「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」と七草までは毎日が季語になっていて、それぞれにきちんと本意がある。「四日」は「三が日が済んで、この日を仕事初めとするところが多い」と説明される。この日は土曜日であったために、実際の「仕事初め」は六日の月曜日だったのかもしれないが、やはり街の中には、世間がまた元の通り動き始めたという気分が濃厚にあった。
東京近辺には富士塚や浅間神社はたくさんあるが、ここの富士塚はその中でもひときわ高く、登山口などもあって立派なこしらえのものである。筆者は残念ながらこの日は富士塚に登れなかったが、おそらく作者の目には、レインボーブリッジや東京湾が見透せたのではないかと想像する。「暮れ」の二文字は、それが茜色の夕焼けに染まる光景であったことと、「正月もあっという間に終わってしまったなあ」という思いで詠まれたことの両方を想起させてくれる。広重の描く浮世絵を見るような詩情豊かな句である。
(可 20.01.14.)