北風荒るる沖をにらんで漁撈長 大倉悌志郎
北風荒るる沖をにらんで漁撈長 大倉悌志郎
『この一句』
鈍色の空の下、北風の吹き荒ぶ岸壁で、沖を睨んだまま身じろぎもしない男の姿が浮かぶ。「出るべきか、待つべきか」。場所は、北海道ならば小樽や釧路…、あるいは青森や秋田…。漁場で男を待つのは鮭か鱒か、鱈か蟹か、鮪かもしれない。それらを思い浮かべ、気象情報を思い返し、男は口を引き結ぶ。
この漁撈長は五十代だろうか六十代だろうか。旅先で漁師を見掛けることは多々あるが、若い人は少ない。農業や林業でも同様だ。今年は災害の多い年で、自然相手の仕事の厳しさ、難しさを痛感させられた。天候次第で、得るものが全くないどころか、船や網あるいは耕運機などを全て失う目に遭わないとも限らないのだから。
我が身を振り返り「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という歌を思い出した。が、もっと気楽な商売がある。市町村や財務省、総務省などの公務員だ。情報漏洩の罪を犯しても、辞職すれば一件落着。退職金も年金ももらえるらしい。税金ドロボー。それはともかく、船が傾くぐらいの魚介類を積み、大漁旗を掲げた漁撈長の顔が見たい。
(光 19.12.29.)