田仕舞の煙の中をディーゼル車 星川 水兎
田仕舞の煙の中をディーゼル車 星川 水兎
『季のことば』
「田仕舞(たじまい)」は「秋収(あきおさめ)」の傍題で晩秋の季語だが、筆者が使っている電子辞書には載ってない。この季語が収容されているかどうかは、歳時記によってまちまちだ。
この辺の事情については、当ブログの故・吉野光久さんの句「田仕舞の煙の匂ふ駅舎かな」に詳しい(右のブログ内検索でチェックしてみてください)。例えば『十七季』(三省堂)には、「収穫後の祝いの宴」とある。田植から稲刈りまでの米作りが終わり、田の神に感謝するとともに、手伝ってくれた人と飲食を共にすることらしい。つまりは儀式のことで、そういう意味では「田仕舞の煙」ではなく、「の」で軽く切れているともとれる。
掲句は、晩秋と初冬のあわいのような週末、房総のチバニアン、養老渓谷、大多喜と経巡った吟行での作。道中、あちこちで籾殻や藁屑などを焼く煙が立ち上っていた。先の台風で寸断された「小湊鉄道」や「いすみ鉄道」のディーゼル車が、その煙を縫って走っていた。秋の終わりの長閑な田園風景を詠んで、懐かしい気分にひたれる句だ。
(双 19.12.10.)