都鳥並びて傾ぎ氷川丸      谷川 水馬

都鳥並びて傾ぎ氷川丸      谷川 水馬 『この一句』  作者はぶらりと横浜港に出掛けた。山下公園添いに氷川丸が停泊していた。この著名な大型貨客船は六〇年も前に現役を退き、今は国の重要文化財に指定され、静かに余生を送っている。  作者はここに来るたびに氷川丸を眺めるのが常だが、この日は少々様子が違う。こちら側の手すりに都鳥(ユリカモメ)がびっしりと並んでいた。ふと気づく。氷川丸が手前に少し傾いているではないか。ユリカモメの重さで・・・、まさかね。いくらカモメが集まっても重量は知れたもの。一万トン級の巨船が鳥の重さで傾くわけがない。  作者はしかし、これをユリカモメの仕業として詠んだ。「あたかも~~のような」状態を事実風に詠むと、俳句に独特の面白さが生れてくる。「閑かさや岩にしみ入蝉の声」。蝉の声が岩にしみ込むわけはないのだが、この句は芭蕉がこう詠んで名句となった。 (恂 19.12.19.)

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行き止まるレールの錆びて山時雨  中村迷哲

行き止まるレールの錆びて山時雨  中村迷哲 『この一句』  これは、どこの光景なのだろうか。地方に行くと錆びたレールを見ることが多くなった。ひとつは利用者減少による廃線のため、もうひとつは地震や台風などによる被害のためである。東日本大震災による三陸鉄道が典型だが、復旧に何年も要し、ようやく全面開通したと思ったらまた被災し、というとても悲しい話もある。  廃線になったわけではないが、錆び付いた無用のレールとなれば、それこそ至る所に見受けられる。たとえば待避線、閉鎖された車両基地…。日本経済の全盛期をしのばせるものだ。それが時雨が降り頻る山間にあり、そこに桜や欅などの落葉が舞い散り、風に震え…などと想像すると、どうしようもない侘しさが募ってくる。  だが、それが日本の現実なのだろう。鉄道衰退の要因はクルマ社会の発展にあった。それが地球温暖化をもたらし、加速すると確認されても、クルマ依存はやみそうもない。アクセルとブレーキを踏み違えての事故が頻発したところで、自分には無縁と思う人が多いのだから。日本人の頭も錆びているのかもしれない。(光 19.12.18.)

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短日に早足の帰路襟たてて    久保 道子

短日に早足の帰路襟たてて    久保 道子 『おかめはちもく』  日が短くなると、誰しも急かされる気分を抱く。それを「早足で」「襟たてて」せかせかと家路に就くのだと、具体的な「動作」で詠んだ。これによって誰もが「ああそうだ」と頷く句になった。作者は今年9月に酔吟会句会を見学し、その場で入会、11月句会に初めてこの句を出した。俳句を始めたばかりの人の句とは思えない、ツボを心得たというか、きちんとした句である。  久保さんは「日頃の小さな感動を自分の言葉で俳句にしたい」と、会報の「自己紹介文」に綴っている。これこそ、俳句作りの原点である。見た物、感じた事を、借り物では無い自分の言葉で5・7・5にする。これが最も大切である。  と言うわけでこの句は、初心の作品としては申し分ないのだが、あえて言えば、下五に「襟たてて」が独立しているため、この句の主題である「短日の気ぜわしさ」より「日暮れの冷え込み」が強く印象づけられてしまう恐れがある。  ここは思い切って「短日の帰り道」を強く打ち出してはどうか。   (添削例) 短日の帰路は早足襟立てて (水 19.12.17.)

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ノーサイド背中湯気吐き息白し  池内 的中

ノーサイド背中湯気吐き息白し  池内 的中 『この一句』 令和元年はラグビー・ワールドカップで大変盛り上がった年である。サッカーに比べてはるかに地味なスポーツで、「にわかファン」も含めてこんなに盛り上がったのは驚くほかない。 若い頃、正月休みに帰省すると、かならず花園ラグビー場の社会人選手権を観に行った。実家でおせちの残りを詰めてもらい、魔法瓶に熱燗を入れ、花園のスタンドで一人で楽しんだ。前売券など買わずとも入れ、生駒山を見ながらのなんとものどかな観戦であった。近くでオールドファンたちが酒盛りをしていて、「あほ、なんでそこでノックオンするねん」などと叫んでいる。スタンドとフィールドの距離が近く、選手や審判の声が観客席まで聞こえてきた。 掲句は試合が終わった後の選手の姿をそのまま描写したものである。この日の季題は「息白し」。作者はそれだけでは物足りないと考え「背中湯気吐き」の措辞を置いたのだろう。これをうるさく感じて、「息白し」に絞った方がよいという指摘があった。しかし、この措辞があることで句の臨場感はぐんと増す。あの頃の花園のようだ。「ラグビーの年」の掉尾の句会を記念して一票を投じた。 (可 19.12.16.)

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タクラマカン砂漠の市場痩せ大根  渡邉 信

タクラマカン砂漠の市場痩せ大根  渡邉 信 『合評会から』(三四郎句会) 豊生 よくぞ見つけた、と言いたい。広大な砂漠の中でも大根は生きているんですね。 賢一 全く同感だ。タクラマカン砂漠に大根があるとは。 敦子 ロマンチックですね。砂漠の人たち、漬物にするのか、大根おろしかな。 小泉 私はウズベキスタンで見ました。まさに、この句のような感じでした。 有弘 シルクロードの砂漠は本当に広大で、私が見た大根もやはりこのようなものだった。 信(作者) バスでホータンからクチャへ、何と七百㌔も行く途中ですよ。果物はたくさんあるが、大根はない。探して、探して、ついに「あった」と叫びました。 尚弘 旅行の費用は五十万円だそうです。この句は価値が高い。            *      *       *  作者は中国ウイグル自治区へ旅行に出かけた際、次回句会の兼題の「大根」を探そうと考えていた。狙い通りに砂漠の中の市場で発見、句会では高点を得た。珍しい題材を得たのは、俳句の力か。いや、句会というものの力かも知れない。 (恂 19.12.15.)

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教皇の被爆地に立つ時雨傘    澤井 二堂

教皇の被爆地に立つ時雨傘    澤井 二堂 『この一句』  ローマ教皇フランシスコが広島、長崎の被爆地を訪れた。法王という政府、マスコミの呼称もこの機会に教皇と変わった。世界13億人のカトリックを統べる宗教者が来日したのは、1981年のヨハネ・パウロ2世以来のこと。今回、被爆地からキナ臭い国際情勢に対し平和を訴えるのが訪日の大きな目的だったという。  この句は広島平和祈念公園に立ちメッセージを読み上げる教皇を、なんの衒気も修飾もなく詠んだ句である。折からの冷たい時雨のなか傘を差しかけられていた教皇。それを見たまま句にしたものでありながら、「教皇」「被爆地」「時雨」と重ねることで、奥深く余韻のある時事句になったと思うのである。  時事句には旬と言おうか賞味期限があるものが多い。一年あるいは数年経ったら「はて?」という句もあるが、この句は後世に残る句ではないだろうか。教皇の平和メッセージは、世界のリーダーたちにどう響いたのか聞いてみたいものである。 (葉 19.12.13.)

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大根煮る妻の笑顔や孫九人    篠田 義彦

大根煮る妻の笑顔や孫九人    篠田 義彦 『この一句』  読んでいると自然に頰がゆるんで来る、ほのぼのとした句だ。煮大根の味が分かるのはかなり年がいってからのことで、子供はあまり好まないものと相場が決まっているが、このオバアチャンの煮大根は格別なのだろう。もしかしたら孫たちには大根以外に何か狙いがあるのかも知れない。大きい孫から小さい孫までまつわりついている。オバアチャンは嬉しそうに相手しながら、てきぱきと炊事に勤しむ。  少し離れた居間か書斎で物を書いたり、本を読んだりしている作者にも、妻と孫たちの賑やかなお喋りが聞こえて来る。老夫婦二人だけだと、もう喋ることもあまり無くなって、いつの間にか妻の愚痴を聞かされることになってしまう。なだめたりすかしたりしているうちに、こちらもくさくさしてしまう。  というわけで、孫はうるさいし、物入りのタネでもあるのだが、不景気な空気の澱む家に明るさを持ち込んでくれる。「いい匂いがしてきた。そろそろ煮えたかな」と、重い腰をよっこらしょっと持ち上げる。 (水 19.12.12.)

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養老の古層浪漫や冬河原     和泉田 守

養老の古層浪漫や冬河原     和泉田 守 『この一句』  初冬に千葉県の〝秘境〟養老渓谷を訪ねた吟行句である。日本で一番遅い紅葉の名所として知られるが、近年は地磁気逆転の地層「チバニアン」で国際的にも有名になった。  チバニアン見学は吟行の目玉の一つ。一行16人で最寄り駅から向かったが、起伏のある道を30分歩き、さらに川までの急坂を下る難路で、地層にたどり着いたのは13人だった。ガイドさんの解説を聞きながら、77万年前の地磁気逆転を示す地層を眺め、それぞれに句想を練った。  作者は幼い頃から化石や地層が好きで、今回の見学を楽しみにしていたという。この秋の台風と大雨による増水で河原には倒木や流木が残り、土砂も堆積している。掲句は世界的にも珍しい地磁気逆転地層の発見を「古層浪漫」と詠む。眼前に広がる蕭条たる冬河原との対比から、作者の太古への熱い思いまで伝わってくる。 養老渓谷やチバニアンを知らなくても、古層浪漫と冬河原の言葉の響き合いが心に残り、吟行句を超えた普遍性を持っているように思う。 (迷 19.12.11.)

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田仕舞の煙の中をディーゼル車  星川 水兎

田仕舞の煙の中をディーゼル車  星川 水兎 『季のことば』  「田仕舞(たじまい)」は「秋収(あきおさめ)」の傍題で晩秋の季語だが、筆者が使っている電子辞書には載ってない。この季語が収容されているかどうかは、歳時記によってまちまちだ。  この辺の事情については、当ブログの故・吉野光久さんの句「田仕舞の煙の匂ふ駅舎かな」に詳しい(右のブログ内検索でチェックしてみてください)。例えば『十七季』(三省堂)には、「収穫後の祝いの宴」とある。田植から稲刈りまでの米作りが終わり、田の神に感謝するとともに、手伝ってくれた人と飲食を共にすることらしい。つまりは儀式のことで、そういう意味では「田仕舞の煙」ではなく、「の」で軽く切れているともとれる。  掲句は、晩秋と初冬のあわいのような週末、房総のチバニアン、養老渓谷、大多喜と経巡った吟行での作。道中、あちこちで籾殻や藁屑などを焼く煙が立ち上っていた。先の台風で寸断された「小湊鉄道」や「いすみ鉄道」のディーゼル車が、その煙を縫って走っていた。秋の終わりの長閑な田園風景を詠んで、懐かしい気分にひたれる句だ。 (双 19.12.10.)

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冬桜鄙におしゃれな町役場    田中 白山

冬桜鄙におしゃれな町役場    田中 白山 『この一句』  11月中旬に千葉県の養老渓谷と大多喜城下を巡る吟行を催した。大多喜では着物姿の女性ガイドさんが、本多忠勝の築いた城下町の見どころを案内してくれた。掲句はそのひとつ大多喜町役場に立ち寄った時の作である。  昭和34年に建てられた町役場は建築家・今井兼次の設計で、日本建築学会賞やユネスコのアジア遺産賞を受賞している。コンクリート打ちっぱなしの壁と大判ガラスのモダンな外観が、旧家の並ぶ城下町に意外に調和している。「鄙におしゃれな」という措辞が絶妙で、その佇まいをわずか七文字で伝える。  取り合わせる季語は、役場の門近くに咲いていた冬桜。小春日和に誘われたように咲いた可憐な白い花が庁舎に映えていた。吟行の印象的な場面を巧みに詠んだこの句は、同行者の点を集めたが、大多喜を知らない人でも、のんびりとした町とモダンな庁舎が浮かんでくるのではなかろうか。 (迷 19.12.09.)

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