小春日や紙の鼠に置く目鼻    須藤 光迷

小春日や紙の鼠に置く目鼻    須藤 光迷 『この一句』  小春日和の暖かい日差しがたっぷり入る部屋で、正月飾りの鼠を紙細工で作っているのであろう。来年の干支は子(鼠)。粘土などでリアルに作ると嫌がる人もいるが、紙細工なら柔らかみと可愛らしさが出る。何体か作って、最後に目と鼻をチョンチョンと描き入れて出来上がり。「置く」という措辞が絶妙で、手仕事の喜びと、来る年を穏やか迎える心持ちが伝わってくる。季語の持つ柔らかな雰囲気ともぴったり合っている。  作者は趣味の陶芸で個展を開くほどの腕前だが、紙細工もやっているという。実際に作ったのは紙を丸めて体を作り、目鼻を描いたものらしい。「折り紙で動物を作るのがブームになっている」とも話しており、年末に鼠づくりに精を出している人は結構いるのかも知れない。  「小春日や」と大きな景を見せてから、「紙の鼠に」と近景に移り、さらに「置く目鼻」と手元にクローズアップする詠み方も、職人芸を思わせる。 (迷 19.12.31.)

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封筒に切手貼り足す冬の雲    大下 綾子

封筒に切手貼り足す冬の雲    大下 綾子 『この一句』  郵便料金は平成6年以降、はがき50円、封書(定型25g以下)80円という設定が20年もの長い間続いた。すっかりその料金に馴染んでいたが、消費税が8%になった平成26年に、はがき52円、封書(同)82円となってからは、はがきが62円になったり、この10月には消費税増税に伴い、それぞれ63円と84円になるなど目まぐるしく改訂した。  筆者の手元には、20年間値上げしなかった期間に買った50円、80円の記念切手がたくさん残っていて、貼り足すための10円や2円の切手もある。手数料を払えば新しい切手と取りかえられるものの面倒だ。先日、封筒にうっかり62円切手を貼ってしまった。84円にするためにさらに10円切手2枚と2円切手を貼り足したが、貼るスペースはなくなるわ、見た目は悪いわで少し凹んだ。  掲句は、このあたりの世知辛いというか情けない、しかし、切実な心情をうまく掬い取った素敵な時事句だ。この句に出会って間もなく、日本郵政グループ3人の社長辞任会見があった。3人が並ぶ姿を見ていたら、ぺたぺたと貼り足した切手を思い出した。 (双 19.12.30.)

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北風荒るる沖をにらんで漁撈長  大倉悌志郎

北風荒るる沖をにらんで漁撈長  大倉悌志郎 『この一句』  鈍色の空の下、北風の吹き荒ぶ岸壁で、沖を睨んだまま身じろぎもしない男の姿が浮かぶ。「出るべきか、待つべきか」。場所は、北海道ならば小樽や釧路…、あるいは青森や秋田…。漁場で男を待つのは鮭か鱒か、鱈か蟹か、鮪かもしれない。それらを思い浮かべ、気象情報を思い返し、男は口を引き結ぶ。  この漁撈長は五十代だろうか六十代だろうか。旅先で漁師を見掛けることは多々あるが、若い人は少ない。農業や林業でも同様だ。今年は災害の多い年で、自然相手の仕事の厳しさ、難しさを痛感させられた。天候次第で、得るものが全くないどころか、船や網あるいは耕運機などを全て失う目に遭わないとも限らないのだから。  我が身を振り返り「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という歌を思い出した。が、もっと気楽な商売がある。市町村や財務省、総務省などの公務員だ。情報漏洩の罪を犯しても、辞職すれば一件落着。退職金も年金ももらえるらしい。税金ドロボー。それはともかく、船が傾くぐらいの魚介類を積み、大漁旗を掲げた漁撈長の顔が見たい。 (光 19.12.29.)

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冬夕焼けこの人生を肯定す    中嶋 阿猿

冬夕焼けこの人生を肯定す    中嶋 阿猿 『この一句』  こういう句を作るのは難しい。投句するのはもっと難しい。そんなふうに思った。  俳句で人生を語るのは特異ではないが、普通は何かの物や事に仮託し、真正面から「この人生」と詠むことは少ない。この句を散文を読むように意味をたどれば、きわめてポジティブな気持の表現と解釈することができ、ひとつ間違えば鼻持ちならない句と捉えられてしまう恐れもある。  「この人生を肯定す」ときっぱり言い切る大胆さに、むしろそこにいたる逡巡や、憂いのようなものを断ち切ろうとする心のありようを感じた。そうでも言い切らないと「やってられないわ」というような作者の気持を感じた。「冬夕焼け」で切れて、「この人生を肯定す」ときっぱり切る韻文の効果から、そういう句意を濃厚に感じた。また、そう解釈すると、「冬夕焼け」の季語が、いっそう鮮やかで美しいものに感じられる。  作者が女性だとわかって、「やっぱりなあ」と思った。こういうことを素直に表現するのは女性の方がはるかに得手である。男性にはなかなか作れないし、作っても投句する前に怖気づいてしまう気がする。すこし羨ましく思った。 (可 19.12.27.)

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北風も仲間に入れて競技場   池村 実千代

北風も仲間に入れて競技場   池村 実千代 『この一句』  寒風の吹く競技場での熱戦を詠んだ句である。サッカーもあるが、「仲間に入れて」の絶妙な措辞から考えると、ラグビーの試合しかないだろう。鍛え上げた十五人が楕円のボールを先頭に突進する。迎撃のタックルから肉弾戦が展開され、体は湯気を発する。北風が心地よく感じられるほどだ。スタンドの観衆も体を揺すり、叫び、グランドの選手と一体化する。 「one for all(みんなのために)」というラグビーの本質を語る言葉がある。選手を観衆を、そして北風までも巻き込んで仲間にする。これほど一体化を実感するスポーツは他にないと思う。  作者は息子二人をラガーマンに育てた。真冬の競技場で何度も子供に声援を送ったであろう。「仲間に入れて」は、現場に身を置いた人だから詠める言葉で、競技場のどよめきまで聞こえて来るようだ。2019年秋のワールドカップで日本代表はベストエイトまで進み、日本中が熱狂した。あの活躍ぶり、一体感もよみがえってくる。 (迷 19.12.26.)

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しぐるるや動物園の裏の道    横井 定利

しぐるるや動物園の裏の道    横井 定利 『この一句』  「時雨」の感じが実によく伝わって来るなあと、句会では一も二も無く採った。何がいいのかと言うと、動物園の裏道と「時雨」の取り合わせが何とも言えない味を出しているのだ。  上野動物園も、天王寺動物園でも、私の地元のささやかな野毛山動物園も、裏の道はまことに寂しい。動物が逃げたりしないように、片側をかなり高い塀が連なる淋しい道である。深夜は通る気にならない。夕闇迫る頃合い、時雨の降りかかる頃など、何とも言えない雰囲気である。自然に足を早めている。  動物園の裏道がどうしてこんなに寂しく、時に陰惨ともいうべき空気が漂うのだろう。上野動物園の裏道を歩きながら考えた。そして気が付いた。囚われの動物たちの呻きがここに澱のように溜まっているのだと。  私は動物園が大好きで、二ヵ月に一度は出かけている。そして小さな狸や狐からライオン、象などの大きな動物まで、飽かず眺め、元気を貰って帰って来る。しかし、そうして人間を楽しませてくれる彼らは、死ぬまで釈放されることのない無期懲役なのだ。 (水 19.12.25.)

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踏ん切りのつかぬ帰郷や都鳥   廣田 可升

踏ん切りのつかぬ帰郷や都鳥   廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 青水 季語の「都鳥」を帰郷にうまく結びつけましたね。「百合鷗」だとこうはならない。 迷哲 日経新聞に連載中の「業平」の歌の本歌取りですね。我々田舎から出て来たサラリーマンの、なかなか故郷に帰れない思いをうまく表現しています。 満智 義務とわかっていても帰郷に気乗りしない心持ちを「踏ん切りのつかぬ」とうまく表現し、帰郷を「都鳥」とからめたところにも感心しました。 斗詩子 都会に長く暮らして定年を迎え、「故郷に帰ろうか、いやもう…」と逡巡する人は多いでしょうね。 可升(作者) 具体的には何もありませんが、夫婦で「大阪に帰らなくてもいいのかな」と話すことがあります。           *     *     *  戦中派から団塊の世代の少し下まで、高度成長期に地方から東京や大阪に働きに出た人達にとって、「故郷は遠くにありて想うもの」どころか、家や墓の問題につながる、すこぶる気に懸かる存在になっている。そのあたりの心情をたくみに掬い取った佳句である。 (光 19.12.24.)

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流木を中洲に残し冬千曲     堤 てる夫

流木を中洲に残し冬千曲     堤 てる夫 『この一句』  千曲川は、藤村の「千曲川旅情の歌」で知られ、四季折々の美しい佇まいが人気だ。しかし、名は体を表す。千ほど曲がりくねっていると言われるほどの暴れ川でもある。その川が先の台風19号による未曾有の大雨で氾濫し、多大な被害をもたらした。2ヶ月過ぎた今もその爪痕が残る。掲句は、その千曲川の今を切り取った時事句なのだが、台風禍以前の作だと言われても得心するほど抑制の効いた筆致だ。句会でも「災害の後は『哀れ』とか『痛々しい』とか言いたがるけど、実際の風景をさらっと詠んで上手いなぁ」と涸魚さんが評したように、冬ざれの大河の景を素直に詠んだ表現に共感する人が多かった。  長野県上田市に作者が居を移して久しい。作者の自宅前を走る別所線は千曲川に架かる鉄橋が濁流に橋脚をさらわれ崩落した。鉄橋部分を含む区間はバスで代行し、全面復旧は2021年春を目指しているそうだが、しばらくは不便を強いられそうだ。  この一句、惨禍を声高に言いつのるのではなく、ありのままの姿を淡々と詠んで心に沁みる。旅人の目にはない、地に足がついた生活者の眼差しが行間から滲み出ているからだろう。 (双 19.12.23.)

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残業の母に飛び込む白き息    中村 迷哲

残業の母に飛び込む白き息    中村 迷哲 『おかめはちもく』  冬の寒さがつのる今日この頃。保育園に残業帰りの母親が迎えに来ている図と見える。残業帰りというのだから夜八時、九時過ぎかもしれない。辺りが暗くなっていても幼児の吐く白い息がくっきり。  保育園で保母さんになにくれとなくお世話をしてもらっても、母親の迎えは何物にも代えがたいものだ。朝、送ってくれた母親と離れがたく大泣きする幼児もいる。評者は孫を送って何度も見た光景である。大泣きの反動か、迎えの母親に喜びを爆発させているのだ。「飛び込む」という表現が切々と響く。  ほほえましく美しい情景の句として一票を投じた。句の出来と句会の得点は、必ずしもシンクロナイズする訳ではないことはよく分かっている。だが好ましい情景を詠んだ句なのに、座が大きく反応しなかったのは、「残業の母」に省略があったせいと思える。「残業の母に飛び込む」と言えば、残業中の母と取られかねない。ここは「残業終えし」と七音になってもいいと思うのだが。それにしても、働き方改革が行き渡り、残業なしの世が待たれる。 (葉 19.12.22.) 

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初雪や子の恋人の来ると言ふ   田中 白山

初雪や子の恋人の来ると言ふ   田中 白山 『季のことば』  初雪はその冬に初めて降る雪のこと。古来、雪は月、花と同様に賞美され、特に初雪は縁起の良いもの、心弾むものとして歌や句に詠まれた。「初雪は盆にもるべき詠(ながめ)哉 其角」や「初雪や水仙の葉の撓むまで 芭蕉」が歳時記に載る。  掲句も子供が恋人を連れてくることを喜び、そわそわして迎える親の気持ちが、初雪の季語にうまく合っている。家族のあたふたぶりも想像され、微笑ましく心がふんわり温かくなってくる句だ。  句会では雪国生まれの人から、初雪は寒く長い冬の到来を告げるもので、違和感があるとの指摘があった。確かに冬に向かう覚悟を迫る側面もあり、雪国に住んだ一茶には「初雪をいまいましいと夕(ゆうべ)哉」の句もある。  ただ日本の風雅の伝統から見ると、初雪はやはり心弾むものであり、喜びを詠んだ明るい句が多い。家族にとっての〝大事件〟をユーモアに包んで詠んだこの句に、初雪に対する思いは別にして雪国の人も共感してもらえるのではないだろうか。 (迷 19.12.20.)

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